takanawa藤池です。
関東は桜が終わってしまいましたね~。
毎年思いますが、本当にあっという間。
日本で「花」といえば ”桜” 。
少し調べてみると、平安時代頃から代表されるようになったようです。
桜についての和歌等も多いですね。
さて、その桜、私にとっては本当に格別な花です。
藤池は名前に「藤」と「百合」というこれまた花が2つも含まれているのでこれらの花も格別なのですが、”桜” は特別感が違います。
2006年秋、私は子宮頸ガン検査で引っかかりました。
当初は異形細胞という診断で、医師達も経過観察だね、とのんびりしておりましたが、検査に通う2~3ヶ月間で急進行し、年末年始で検査期間が開いてしまった事もあり、年明けには初期ガンの診断、2月頭の検査手術時にはすでに初期ではなく、広範囲子宮全摘出という診断、それも進行が非常に早いため、手術予定が早められるほどでした。
本手術が4月の頭に設定され、この進行スピードだと半年でほぼ間違いなくリンパ節転移、全身疾患へ、1年もつかどうか、というお話でした。
時間が刻一刻と過ぎ去る中、友人達のアドバイスなどもあり、セカンドオピニオンどころか、フィフスオピニオンまで取り、論文を読みあさり、自分なりに調べ尽くして処置を決めました。
私はご縁に恵まれ、当時世界でただ一人と言われた腹腔鏡で広範囲子宮全摘出手術をする先生に命を預ける事になり、その先生がいらっしゃる倉敷まで新幹線で通っていました。
入院3日前に諸々の手続きや最終確認の為に病院へ行った時の事、ふと、美観地区の大原美術館の情報が目に入りました。
エル・グレコの『受胎告知』という絵があるとの事でした。
当時、エル・グレコにも、宗教画にも興味なく、日本画が好きな私でしたが、この時は不思議な事にどうしてもこの絵を見たくなりました。
病院の帰り道、膨大に考える事、沸き起こる感情、それを分析しようとする思考を抱えながらふらふらと美観地区へ入ると、まず目に入って来たのが堀の水に枝を下し、ただ咲き誇る桜でした。

目に入った瞬間、桜だと認識するよりも前に、涙があふれていました。
感情もなく、思考もなく、過去も未来も無く、さらに、涙はおろか、身体の存在さえなく、そこには私と花が有るだけでした。
そこに桜が咲いている。
ただ、それだけでした。
それは余りにも刹那であり、一瞬であり、そして永遠でした。
感情(自我)が入り込む余地は全く無く。
その佇む姿、ありのままにある姿。
その絶対なる永久の『美しさ』
この時のことを想い出すと、今だに涙があふれます。
思えば、この時の桜に「美」の真髄を学ばせて貰ったのかも知れません。
このほんの1時間ほど前、私は手術を受けない事を決意し、それを医師に伝え、病院を後にしたばかりでした。
色々あったのですが、最終的に私は、病院や医師を頼らず、自分の身体を自分で全て引き受ける決意をしたばかりだったのです。
死をはっきりと覚悟しました。
言葉にならないほどの感情と想いが全身に渦巻いていました。
苦しむのも死も怖くはありませんでした。(痛いのは嫌だけれど。)
今まで全力で生き切って来ましたので、思い残した事も、やり残した事もありません。
残りの人生、私がこの世に生を受け、この病気に縁有った事を全力で感じたかった、知りたかった。
答えは解らないかもしれないけれど、全力でそこに向かいたかったのです。
生死は二の次でした。
とにかく決めた以上、周囲に迷惑をかけない様に生き・逝こうと決めました。
世界で一番愛する母親に心配をかけ、万が一のときは悲しませてしまう事だけは、親不孝だと思いましたが、私を生んだ母なのだから必ず乗り越えてくれると信じました。
その後、本当に奇跡的としか言いようが無い流れで自然療法に導かれ、学校に通い始めました。
やはりガンで手術を拒否し自然療法を選択した学友と、来年も必ずや一緒にこの桜を見ようと誓い合った時の、春風に舞う桜の凛々しいまでの散り様、、心の奥底に染み渡る美しさたるや。。。
武士が “散る” を死と結びつけた気持ちが少しは解った様な気がしました。。
そして、、
その翌年、ちょうど都内の桜が満開の暖かい昼下がり、約束を果たすことなく桜と共に潔いまでに逝ってしまった友。
そのお墓に降り注ぐ、春の陽光を浴びた桜の花弁の悲しいまでの美しさ。。。
桜は、私にとって格別なのです。
「願はくは 花の下にて春しなむ その如月の望月のころ」
西行法師