今回は「健やか」について
何気なく使っている言葉ですが、どういう状態を表しているのでしょうか。
辞書を引くと、病気では無い状態、などと書いてあります。(広辞苑)
では、病気では無いけれど、思い悩んでいる時や、不平不満に囚われている時は健やかと言えるのでしょうか?
病気が見つかる人の何割かは、見つかるまで自分が健やかだと信じていた、なんていう統計もあったりします。
さて、このとても輪郭が見え辛い言葉、各種自然療法では
「心魂体、全てにおいて自由度が高い状態」
と定義されているケースが多いと感じます。
自由、とは制約や依存が無い(もしくは少ない)状態。
噛み砕いて表現すると、
「~なんてあり得ない」
「~が許せない」
「~が無いと生きていけない」
などといった何らかの制約(ストレス)があると、真に健やかでは無いという事。
いつでも、どこでも、誰とでも、どんな状態でも、その場に対応して善や美を見て生きていける事、それが真の健やかさなのです。(ハードル高い!)
人は通常、自分のネガティブな感情から逃げようとします。
例えば、苦手な人とは接触を避ける、あり得ない状態にならないように努力する、など。
これは一時的にはとても大切な事ですが、表面的であり、対処療法のようなもの。根本的な解決にはなりません。
“何故そう感じるのか” と言った、自分の感受性を深く見つめネガティブな部分を受け入れる様に意識する事が、問題の根本的解決や、心や魂の成長、そして何故そういった感受性を持って生まれたか、と言った存在の意味を見つける事に繋がります。
これは内観として、禅に代表される日本文化の真髄でもありますね。
残念ながら、今は物質的に豊かになった反面、一時的な逃避もし易くなり、食事やお酒、買い物、ギャンブルなどで誤魔化す技に長けている方々も増えてしまった様に感じます。
(何事もほどほどに)
物質社会のみに生き、好きなものを好きなだけ手に入れる事こそが自由だと勘違いしている人も大勢います。(自由に手に入らない事がストレスなのであるならば、物質に依存していますから、真の自由ではありませんね)
人は経験から学び、強くなります。
強くなれば、余裕が出来ます。
余裕が出来れば、より様々なものを受け入れられる様になります。
経験からどれだけ深く学べるか。
逃げる事も時には大切ですが、それだけでは強くはなれないのです。(逆に逃げる癖がつくと後々厄介です。)
全てを包括する愛、慈愛、許容と言った究極の愛である母性が、強さから生まれる事もよく分かります。
日本の創造神が、この母性を表現し、女性体である天照大御神なのも意義深いですね。
現象界(陽)での努力を怠る事無しに、潜在界(陰)を見つめ、バランスを取りながら中庸を目指す。
ゆくゆくは、様々な感受性を乗り越える事によって、陰陽双極性に囚われず、ありのままを受け入れ、“生”に感謝して生きるワンネスへ。
太古の昔から多くの賢人達が世界中で説いてきた真理です。
この究極は、、、そう、悟りや解脱ですが、我々凡人はそこまでは遠い道のり。
さて、我々は心的、霊的に進化しているのでしょうか。
先人達が築いた文化を受け継げているのでしょうか。
温故知新
真の美しさは、真の健やかさにあり。
皆様、日々をお健やかにお過ごしください。