今村昌平監督の『復讐するは我にあり』(1979年)を見た。実際の連続殺人事件を題材とした映画で、今村にとっては『神々の深き欲望』以来、11年ぶりの作品だった。

昔から本作の内容は知っていて、連続殺人犯が逃亡先で旅館の女将と懇ろになり、そのファックシーンの写真が強烈だっただけに、身構えて見た。 

今村の作品は何作か見ていたが、それらはエロに焦点を当てたものだ。しかし、本作は殺人行為が絡むため、残酷な描写が随所に描かれている。

その殺人犯を演じたのが緒形拳で、冷酷残忍ながら、時折ユーモラスで人間味があり、彼の行動を目で追うのが精一杯だ。

彼は大学教授に化けたり、旅館の婆さんと競艇場に行ったり、静かに市民を演じているが、絶えず機会を窺い、犯罪者に豹変する。

もうひとつのテーマ、親子の相剋のほうがむしろ重苦しい。そこに犯罪者を生んだ元凶があるからだ。父親役の三國連太郎が緒形の顔に唾を吐く場面はショックだった。

しかも、その父親が息子の嫁とデキてしまうのだから、やりきれない。嫁(倍賞美津子)が三國を誘惑するさまは、緒形と女将(小川真由美)のファックシーンよりも数段、陰惨でエロい。

これは今村の力業といった感じの作品で、何にせよ緒形の演技に負うところが大きい。

今村の愛弟子である長谷川和彦監督が、本作公開の三年前に、やはり実際の事件を扱った『青春の殺人者』で鮮烈なデビューを果たしたが、本作では今村が『青春の殺人者』の影響を受けたのではないかと考えるのは、穿ちすぎだろうか?

ちなみに長谷川はデビュー作が、キネマ旬報映画賞のベストワンに選ばれ、二作目の『太陽を盗んだ男』(1979年)も二位の好成績だった。連続一位を阻んだのが、奇しくも今村だというのも因果なことである。 
何か大事なことを言おうとしていたんだけど、なんだっけ?

あ、そうそう…ポテロングはじゃがりこほど堅くはなく、食感がサクサクだ。

あれ…違うか。なんだっけ?



数多く存在する作家のなかで、オレが一番その作品を読んでいるのが吉行淳之介(1924年~1994年)だ。

岡山県生まれで、両親はNHK連続テレビ小説『あぐり』でも取りあげられた、作家の吉行エイスケと、美容師のあぐり。

おもに男女の性について書きつづけ、1954年に『驟雨』で芥川賞を受賞。代表作には『砂の上の植物群』『暗室』『夕暮まで』などがある。

若い頃からアレルギー体質で病気に苦しんだが、精神的にはタフで、多くの作家から一目置かれていた。鋭い観察眼と人間力の所以だろう。  

また妻と子供がありながら、終生、女優の宮城まり子と同棲をしていた。他にも愛人がいた時期があったというから、女性にはモテたようだ。

現代では少なくなってしまった、「おとな」という印象を吉行からは受ける。だから一度は会って、話がしてみたかった。

なんと答えてくれただろうか…。