現在のプロ野球で思い入れのある選手といえば、読売ジャイアンツの高橋由伸だ。慶應義塾大学在学中に、田淵幸一の持つ東京六大学の通算本塁打の記録を塗り替え、1997年、巨人にドラフト一位で入団。一年目から打率3割をマークして、以降中心選手となった。
当時の巨人には松井秀喜や清原和博など、スター選手が在籍していたが、高橋も彼らにひけを取らぬ活躍を見せた。天才的なバットコントロールと甘いマスクとは裏腹に、初球から振りにいく大胆さを持ち合わせている。
それは守備も同様で、フェンス際の打球も激突を恐れず捕りにいき、そのため大怪我を繰り返した。思えば2005年に負った怪我がのちの不調の原因だった。一年目から2004年まではほぼ全試合に出場し、打率も3割から2割後半をキープしていたのだから。
だが一番打者を任された2007年は、先頭打者ホームラン数の記録を更新する活躍で、打率も久々の3割、OPSはリーグ一位、巨人の優勝に貢献した。オレはその当時、高橋の復活劇を喜んだ。しかし、これが最後の輝きだった。
翌年からは度重なる故障と若手の台頭に阻まれ、近年はレギュラーの座さえ不安定な状態だ。天才と呼ばれてきた割りに打撃タイトルには縁がなく、比較的速い時期に1000本安打を達成したが、2000本安打は遠く険しい。
それでも高橋の潜在能力なら、また復活するのではないかと期待してしまう。そんな幻想を抱かせてくれる魅力的な選手なのだ。
当時の巨人には松井秀喜や清原和博など、スター選手が在籍していたが、高橋も彼らにひけを取らぬ活躍を見せた。天才的なバットコントロールと甘いマスクとは裏腹に、初球から振りにいく大胆さを持ち合わせている。
それは守備も同様で、フェンス際の打球も激突を恐れず捕りにいき、そのため大怪我を繰り返した。思えば2005年に負った怪我がのちの不調の原因だった。一年目から2004年まではほぼ全試合に出場し、打率も3割から2割後半をキープしていたのだから。
だが一番打者を任された2007年は、先頭打者ホームラン数の記録を更新する活躍で、打率も久々の3割、OPSはリーグ一位、巨人の優勝に貢献した。オレはその当時、高橋の復活劇を喜んだ。しかし、これが最後の輝きだった。
翌年からは度重なる故障と若手の台頭に阻まれ、近年はレギュラーの座さえ不安定な状態だ。天才と呼ばれてきた割りに打撃タイトルには縁がなく、比較的速い時期に1000本安打を達成したが、2000本安打は遠く険しい。
それでも高橋の潜在能力なら、また復活するのではないかと期待してしまう。そんな幻想を抱かせてくれる魅力的な選手なのだ。