今、僕が勤めている会社は、身体を資本にしている

ようなところがあって、いわゆる体力や力が

あるような人たちが沢山いる。

そんな中にあって、僕はどちらかというと、

線が細いタイプで、お世辞にも体力が

あるようにはみられない。

だからなのか。何なのか。そういう人たちとの

間でしばしばギャップに悩むことがある。


別にこれから書くことは、体力や力自慢が

どうということではないです。

予め断っておきますが。だから、お気を

わるくしないでください。


全員が全員という訳ではないけど、

会社の人たちの考え方が、どうにも

片一方の見方しかできていない。

僕の勤めている会社の人たちは、

勤続20年、30年というのが当たり前の世界。、

それだけ古い会社(設立して40年ぐらい)なのだ。

それだけに十代、二十代からずっと勤めている人が

多いわけで。

あ、それがどうということではないです(汗)


ただ、同じ人間と長い間接していて、慣れもあるのでしょうが、

新しい考え方が入ってこないのも問題です。

他の世界に行くと、変わった人に見られがちな人でも、

ここでは長く勤めているから、当たり前のように錯覚して

しまう。また、それが容認されてしまう。


そして、この会社は先にも書いたように、体力や力を使う

ので、どちらかというと、筋肉バカが多い。(失礼!)

考え方や物の見方が論理的ではないのです。

みんなが出来るから、他の人も出来るだろ。

ではなく、出来ないなら、何故出来ないのか。

そして、~だから出来ない。では、こうしよう。

と、双方の意見を取り入れてしたほうがいいと思う。


細かい話をすると切りがないが、要するに想像力に

かけるのだ。

そりゃあそうだろう。

休みの日に競馬やパチンコをすることしか頭にないのだから。

いや、何もそれが悪いということではない。

もっと、考え方を柔軟にし、あらゆる方向から

物を測り、見て欲しい。

論理的想像力。

これがない大人が多すぎる。

自分の意見が正しいと思いすぎる。

そして、下の人間の話もろくに聞かない。


だから読書という行為が必要なのですよ。

特に小説。フィクションだが、ここには人間の

機微が描かれている。

小説なら何でもいいわけではありません。

それを吟味する嗅覚を鍛えるのも、想像力です。

そして、何より日本語を正しく読み、つかえる大人に

なる。

確かに日本語は難しい。

僕でも読めない漢字や知らない言葉は多い。

が、そんな僕から見ても、いい年した人が

読めなかったり、ちゃんとした日本語をつかえていないと

がっくりする。

本を読んでいるかどうかを判断する方法がある。

それは話し言葉で「早急」を「さっきゅう」、

「重複」を「ちょうふく」と正しく言っていると、

多少は文学に詳しいのかなと

思うようにしている。

また「市井」を「しせい」と読めるのは

時代小説か時代劇が好きなのだろうという判断材料に

なる。

最後は、愚痴じゃなくなったし、何だか

纏まりがないね。


久しぶりに長文のブログjを書いたよ。


それじゃあ、近々、また本の紹介をします。