強豪クラン・ギルドが生まれる過程を、単純に「上手いプレイヤーが弱いプレイヤーを見下し、強者だけで固まった」という選民思想だけで説明するのは不十分だと思う。最終的に強豪だけが集まり、外部との交流が減り、身内意識や選民的な価値観まで形成されることはあり得る。しかし、その完成形だけを見て誕生理由まで逆算すると、そこに至るまでに存在した強者同士への敬意、対戦を拒否されることへの憤り、SNSを介した対立、そして双方の「もう関わりたくない」という感情が抜け落ちてしまう。

「誕生」――最初から強者だけで固まっていたわけではない

もともと上手いプレイヤーたちは、一つの巨大な強豪クランに集まっていたわけではない。それぞれ別々のクランやギルドに所属し、ランキングマッチなどを通じて互いに対戦していた、そこで何度も対戦していると、自然に相手の実力が分かってくる。「あの人は上手い」「このクランは強い」「この人とは何度戦っても厳しい」「負けたけど、あの判断は凄かった」といった評価が生まれ、敵でありながら互いの実力を認めるようになる、ここにあるのは必ずしも優越意識ではない。

むしろ、「強い相手だからこそ戦いたい」「何度負けてもまた来る相手だから認める」「この人なら本気でゲームができる」という、競技者同士の敬意である、ランキングマッチで何度も顔を合わせ、SNSでも交流し、敵だったプレイヤー同士が徐々につながっていく。こうして、各クランに分散していた上級者の間に人的ネットワークが形成されていった、ところが、一部のプレイヤーやクランが突出して強くなると、別の問題が発生する、強すぎるがゆえに、対戦そのものを避けられるようになる。

「経緯」――強くなった結果、対戦相手がいなくなる

強豪側からすると、これはかなり理不尽に感じられる、最初から強かったわけではない。ゲームを遊び、負け、研究し、練習し、試行錯誤を繰り返して強くなった。それなのに、その努力の結果として実力差が開くと、今度はランキングマッチで相手から避けられる、本来なら強くなるほど高度な試合ができるはずなのに、現実には、

練習する
→ 上手くなる→ 周囲との実力差が広が→ 対戦を拒否される→ 強くなるほど対戦機会が減るという逆説が発生する。

強豪側からすれば「こっちは普通にゲームをしたいだけなのに、なぜ強いという理由だけで対戦してもらえないんだ」という不満になる、ランキングマッチである以上、「当たった相手と戦うことも競技の一部だ」という認識を持っていれば、なおさら対戦拒否は納得しにくい。

そして何度も拒否されれば、単なる残念という感情では終わらなくなる。

「また逃げられた」「なんで俺たちだけ避けられるんだ」「強い相手と戦いたくないなら、何のためのランキングなんだ」という憤りへ変わっていく。

しかし、ここで対戦を避ける側から見ると、まったく違う景色が見えている。

「不満」――避ける側は「負けるのが怖い」だけではない

強豪との対戦を拒否する理由を、強豪側からは「負けるのが嫌だから逃げた」と解釈しやすい。

しかし避ける側からすれば、

「結果がほとんど見えている消化試合を、なぜわざわざやらなければならないのか」

という不満がある。

ゲームなのだから、自分が面白いと思える相手と遊びたい。圧倒的な実力差があり、ほとんど一方的な試合になることが分かっているなら、「今日はやりたくない」と思う人間がいても不思議ではない。

しかも問題はゲーム内の勝敗だけではない。

SNSが存在する。

強豪側が対戦結果のスクリーンショットを投稿する文化を持っていれば、負けた側にとって対戦結果はその試合だけで終わらない。

戦績画面を撮影され、自分のIDが見える状態でSNSへ投稿される。相手にとっては「強い相手に勝った」「これだけ圧倒した」という実績の提示であり、反応やインプレッションを得るための投稿かもしれない。

しかし投稿される側からすれば意味が違う。

「俺はお前の強さを証明するための材料として対戦したわけじゃない」

となる。

自分の敗北が、他人の承認や知名度を得るためのコンテンツに変換される。

さらにクランタグなどから所属まで分かれば、個人だけでは済まない。

自分が負ける
→ 戦績がSNSに載る→ ID・クランタグが見える→ 所属クランまで評価対象になるという可能性がある。

本人にとっては自分の戦績だけならまだしも、「自分の敗北によって所属クランまで弱いと思われたくない」という理由も出てくる、だから対戦そのものを避ける、ところが、ここでさらに問題が起こる。

戦っても晒される、戦わなくても晒される

対戦を拒否したところ、今度は強豪側が憤り「また逃げられた」という形で相手のクラン名やタグをSNSへ出す、すると避ける側からすれば、対戦する → 負けた戦績をSNSへ投稿される可能性がある、対戦しない → 「逃げたクラン」としてSNSへ投稿される可能性があるという状態になる。

つまり問題は、「負けたくない」から、

「この人たちと接触した時点で、ゲーム内の出来事をSNSへ持ち出される可能性がある」へ変化する。

そうなれば、「もう関わりたくない」という判断が生まれる。

そして、なぜ対戦したくないのかを毎回長々と説明するのも面倒である。

「実力差がありすぎて消化試合になる」「戦績をSNSに載せられたくない」「IDを公開されたくない」「所属クランまで巻き込まれたくない」「単純に面倒な人間関係を作りたくない」。

本当はこれだけの理由があったとしても、毎回すべて説明する人間は少ない。

まして説明した結果「逃げているだけ」「負け惜しみ」「勝てばいい」ランキングなんだから戦え」と返されるのであれば、説明する意味そのものがなくなっていく、最終的には「もう何も言わずに距離を取ろう」となる。

しかし、強豪側から見えるのはその最後の行動だけである、「理由も説明せず、俺たちを見たら逃げた」と見える。

双方の不満が互いを強化していく

ここから非常に厄介な循環が始まる。

避ける側は、「関わるとSNSで面倒になるから避けよう」と考える。

強豪側は、「また俺たちだけ対戦を拒否された」と感じる。

強豪側が憤って相手のタグやクラン名をSNSへ出す。

それを見た周囲は、「やっぱりあの人たちと関わるとSNSに持ち出される」と考える、そして、さらに避ける。

すると強豪側では「ほら、また逃げた」という認識が強くなる。

つまり

対戦拒否→ 強豪側の憤り→ SNSで拒否した相手を可視化→ 周囲の警戒→ 接触回避→ さらに対戦拒否→ 強豪側の不満増大

という自己強化ループが完成する。

ここでは双方が、自分の行動を合理的だと思っている。

強豪側には「強くなっただけなのに、まともにゲームをさせてもらえない」という不満がある。

避ける側には「勝敗の見えた消化試合に付き合わされたうえ、その結果や拒否までSNSの材料にされたくない」という不満がある。

そして相手の行動を見るたびに「やっぱりこいつらはおかしい」と双方が確信を深めていく。

そこで「上手い人を一箇所に集める」という発想が生まれる

この状況で重要になるのが、最初にあった強者同士への敬意である。

ランキングマッチで何度も戦った相手の中には、強豪を見ても逃げない人間がいる。

何度でも戦う、実際に強い、勝つこともある、負けてもまた挑んでくる、ゲームについて高度な話が通じる。

強豪側からすれば、そういう相手は信用できる。

「この人ならまともに対戦できる」「この人は本当に上手い」「だったら別々のクランにいる必要もないんじゃないか」

という発想が出てくる。

そして「各クランに散らばっている上手い人たちを、一箇所に集めればいい」

という結論に向かう、強い人間を一箇所に集めれば、少なくとも内部では対戦拒否されにくい。

自分と同程度の相手が常にいる。高度な練習ができる。ゲームの理解度も近い。何より、強いという理由だけで避けられる経験をしなくて済む。

こうして、それまで各クランに分散していた猛者たちが一つの場所へ集まり始める。

強豪クラン・ギルドの誕生

したがって、この強豪クラン・ギルドの形成を「強者が弱者を見下し、選ばれた人間だけで固まった」だけで説明すると、かなり重要な部分を見落とす。

もちろん、強者ばかりが集まった環境が長期間続けば、後から選民意識や閉鎖性が形成される可能性はある。

しかし、それは誕生の経緯とは別問題である。

出発点には、強い相手への敬意があった、そして同時に、強くなったことで対戦を拒否されることへの不満と憤りがあった、その二つが合流して「だったら、逃げずに本気で戦ってくれる上手い奴らを一箇所に集めよう」

という発想につながった、つまり強豪クラン・ギルドとは、単なる優越意識の産物ではなく、

ランキングマッチの中で互いの実力を認め合った強者たちが、対戦拒否によって生じる不満や対戦相手不足を解消するために集約され、安定して高水準の対戦ができる共同体として形成されたもの

と見ることができる、そして、その背景には少し皮肉な構造がある。

ゲームが好きだから練習した、練習したから強くなった、強くなったから避けられた、避けられたから不満を持った、それでも戦ってくれる強者には敬意を持った、だから、その強者たちを一箇所へ集めた、この流れまで含めて見ることで、初めて「なぜ強豪クラン・ギルドという集団が生まれたのか」が説明できる。