前回紹介させていただいた「櫻の園、散華(チルハナ)。」は2007年6月末から上演された
佐藤寛子サン主演作、舞台版「櫻の園」をモチーフに、ヒロイン志水由布子の数年後を
想像し創作したミニストーリーです。2007年秋に「ある目的」で製作した文章を、細部を
修正して再録してみました。文才には恵まれていませんので、そう大した出来でもありませんが…。
劇中の志水由布子は、同性の同級生、倉田知世子に惹かれますが、それは思春期のある一定の
期間限定の思いで、時と共にその感情は薄れてゆくだろうと言った、少々残酷な結果として
描きました。花咲く季節を過ぎ、自分を縛る幹から解き放たれた花びらたちは、思い思いの方角へ
舞い踊り、決してもとの幹に戻ることはない…そんな桜のごとく、少女期を終え大人の女性へと
変わってゆく彼女たちの、ごく当たり前の姿なのではないかと思っています。
舞台版「櫻の園」は2007年当時3度目の舞台化となる人気作、まさに劇中で描かれるチェーホフの
「桜の園」同様、伝統となっている演目です(ちなみ僕は全公演に観に行っています)。
ヒロイン志水由布子は、これが驚くほどに佐藤寛子本人にリンクしている人物、まさに
生き写しです。まるで彼女のために創作されたキャラクターなのでは?と思わずにはいられません。
かつて彼女は僕に自分の演じる人物は、すべて「運命的な縁がある」と語ってくれたことが
ありますが、このキャラクターを演じることがわかったとき、その言葉の意味を強く実感させられる
ものとなりました。
「櫻の園」は今年2009年にも、メーンの登場人物を一新させて4度目の公演が行われました。
僕も2度観に行きましたが、残念ながら2007年版ほどの感動は味わえませんでした。
いえ、おそらく2007年版を観ていなければ、それなりの感動は得られたのだと思います。
それほど(僕の中では)佐藤寛子を初めとした2007年版の4人の少女達の雰囲気が素晴らし
かったのです。これはファンという贔屓目も作用しているのかもしれませんが、2009年版の志水由布子を
演じた女優の口から発せられる「音」はあくまで「台詞」であり、「言葉」には感じられませんでした。
佐藤寛子版の志水由布子によって強く心を打たれたいくつもの「言葉」が、すべて単なる「台詞」として
流されていくのを痛感したのです。如何に佐藤寛子が「台詞」の一つ一つを「心の叫び」として大切に
表現していたか、それを思い知らされました。
こんなことを書いてしまうと、2009年版の志水由布子を否定しているかのように思われるのは
覚悟しています。もちろん彼女も全霊をこめて演じていたと思いますし、僕としてはそんな気持ちは
全くありません。ただ、そんな思いがかき消されてしまうほど、佐藤寛子版志水由布子には本当に
心の底から打たれたということなのでしょう。
志水由布子の言葉で僕が一番強く心打たれたのは、物語のラストシーン、舞台が開演する直前、
演劇部の仲間達に向かって口にする…
「行きます」
…でした。
このたった4文字の短い言葉に、志水由布子のそれまでの感情、これからの未来に向かう思いや
決意が全て集約されているように感じられ、涙が溢れてきました。映画版を含め、何人かの
志水由布子が同じ言葉を口にしていますが、そんな思いを感じさせてくれたのは、2007年
舞台版の佐藤寛子ただ一人でした。彼女がこの言葉に「名台詞」としての命を与えてくれた
初めての女優なのです。そう、それは彼女は「台詞」に「心」を与え、「言葉」に出来る女優の
一人なのだと確信した瞬間でした。
あ、やばい。柄にもなく語ってしまったぞ。うひょひょーい!

佐藤寛子サン主演作、舞台版「櫻の園」をモチーフに、ヒロイン志水由布子の数年後を
想像し創作したミニストーリーです。2007年秋に「ある目的」で製作した文章を、細部を
修正して再録してみました。文才には恵まれていませんので、そう大した出来でもありませんが…。
劇中の志水由布子は、同性の同級生、倉田知世子に惹かれますが、それは思春期のある一定の
期間限定の思いで、時と共にその感情は薄れてゆくだろうと言った、少々残酷な結果として
描きました。花咲く季節を過ぎ、自分を縛る幹から解き放たれた花びらたちは、思い思いの方角へ
舞い踊り、決してもとの幹に戻ることはない…そんな桜のごとく、少女期を終え大人の女性へと
変わってゆく彼女たちの、ごく当たり前の姿なのではないかと思っています。
舞台版「櫻の園」は2007年当時3度目の舞台化となる人気作、まさに劇中で描かれるチェーホフの
「桜の園」同様、伝統となっている演目です(ちなみ僕は全公演に観に行っています)。
ヒロイン志水由布子は、これが驚くほどに佐藤寛子本人にリンクしている人物、まさに
生き写しです。まるで彼女のために創作されたキャラクターなのでは?と思わずにはいられません。
かつて彼女は僕に自分の演じる人物は、すべて「運命的な縁がある」と語ってくれたことが
ありますが、このキャラクターを演じることがわかったとき、その言葉の意味を強く実感させられる
ものとなりました。
「櫻の園」は今年2009年にも、メーンの登場人物を一新させて4度目の公演が行われました。
僕も2度観に行きましたが、残念ながら2007年版ほどの感動は味わえませんでした。
いえ、おそらく2007年版を観ていなければ、それなりの感動は得られたのだと思います。
それほど(僕の中では)佐藤寛子を初めとした2007年版の4人の少女達の雰囲気が素晴らし
かったのです。これはファンという贔屓目も作用しているのかもしれませんが、2009年版の志水由布子を
演じた女優の口から発せられる「音」はあくまで「台詞」であり、「言葉」には感じられませんでした。
佐藤寛子版の志水由布子によって強く心を打たれたいくつもの「言葉」が、すべて単なる「台詞」として
流されていくのを痛感したのです。如何に佐藤寛子が「台詞」の一つ一つを「心の叫び」として大切に
表現していたか、それを思い知らされました。
こんなことを書いてしまうと、2009年版の志水由布子を否定しているかのように思われるのは
覚悟しています。もちろん彼女も全霊をこめて演じていたと思いますし、僕としてはそんな気持ちは
全くありません。ただ、そんな思いがかき消されてしまうほど、佐藤寛子版志水由布子には本当に
心の底から打たれたということなのでしょう。
志水由布子の言葉で僕が一番強く心打たれたのは、物語のラストシーン、舞台が開演する直前、
演劇部の仲間達に向かって口にする…
「行きます」
…でした。
このたった4文字の短い言葉に、志水由布子のそれまでの感情、これからの未来に向かう思いや
決意が全て集約されているように感じられ、涙が溢れてきました。映画版を含め、何人かの
志水由布子が同じ言葉を口にしていますが、そんな思いを感じさせてくれたのは、2007年
舞台版の佐藤寛子ただ一人でした。彼女がこの言葉に「名台詞」としての命を与えてくれた
初めての女優なのです。そう、それは彼女は「台詞」に「心」を与え、「言葉」に出来る女優の
一人なのだと確信した瞬間でした。
あ、やばい。柄にもなく語ってしまったぞ。うひょひょーい!


