人生は色々だけど、できることなら、誰かの必要な存在でいれたらって思うのは、誰しもが思うこと。
理想的なことを言うと、お互いの一番身近な存在同士で、そう思われ、そう思える関係が構築できていることが望ましい姿なのだ。
しかし、現実的なことを言えば、双方がってことはほぼほぼなく、片方がそう思えることぐらいしかないのだ。
最悪なのが、どちらも、そう思えない間柄なのだ。
でも、こんな関係が増えているような気がしているのは、俺だけじゃないはず。
でも、世の中には、必ず自分のことを必要としている人はいるし、逆に、自分にとって必要な存在は必ずいるものなのだ。
人生のしあわせとは、どういうものなのかを考えた時、お互いにとって必要となる存在を見つけることこそが、それなんじゃないかって思えてくるのだ。
実は俺もいい歳にはなっている。
なので、俺のことを必要としている人が、たくさんいることは、よく知っている。
当然ながら、その中には、俺にとって、俺の人生にとって必要な存在はいる。
多分、人生の良きパートナーになり得る人である。
しかし、だからと言って、簡単にはそうなれない。
ものすごい高いハードルが目の前に、そびえ立っているのだ。
でも、諦めてはダメなのだ。
人生なんて何が起こるなんて分からない。
しあわせだって突然やってくることだってある。
だから、それも信じて生きていこうと思う。
ちょっと話を戻す。
自分が相手を必要だと思ったとしても、相手がそう思わない場合なんてことは、往々にしてある。
果たして、この状態で、この先において激変があるのだろうか?
どう考えても、ないように感じる。
そうすると決断してもいいように感じなくはない。
人生における時間は、間違いなく有限だ。
できることなら、いつも明るく楽しく元気よく、そして笑って、笑顔で過ごしたいもの。
そう考えた時、こういうことが、ごく自然にできる人こそが、必要な存在なんじゃないかって思う。
あなたにとっての必要な存在でなければ、目の前から立ち去るのも一つの方法かなってことを考えてしまう。
これが双方にとってのしあわせなのかもしれないし
今回も最後まで、俺のブログを読んでいただき、本当にありがとうございました🙏
おしまい…