みなさまこんばんは。
2月4日( 日曜日 )は、横大路に沿って
橿原市から大和高田市にかけて歩いてきましたので、
その様子を、今回から2回に分けてお届けしていこうと思います。
まずは入鹿神社にご挨拶。
近くを通るときは、必ずご挨拶することにしています。
いきなり脱線ですが、みなさんにも、
日頃から神社やお寺に親しんでほしいなと思いますね。
毎日を前向きに過ごすためにも、ぜひオススメしたい習慣です。
というのも、
初詣で「 今年こそは!」と決意したはずなのに、
つい怠けたり、惰性に流されたり、
「 あしたから本気出す!」と毎日言い続けて、
結局本気を出さないまま1年が終わってしまった…
そんなこともあると思うんですが( ないですか? あれ?僕だけ?(^_^;) 、
そんなことにならないよう手助けしてくれるのが、神様、仏様なんです。
神様の前に立ったら、こんなふうに念じましょう。
感謝( いつもありがとうございます )
報告( おかげさまで○○することが出来ました )
決意表明( これから○○を頑張っていきます。よろしくお願いします )
神様に報告することで、「 大いなるなにか 」の存在が身近に感じられ、
不思議と力が湧いてくるんです。
怠け癖が頭をもたげてきたり、嫌なことがあってめげそうなときも、
さっと気持ちを切り替えて頑張れるようになる。
そして、やりたいことを頑張って、人生を変えていくことが出来る。
そういう力を、神様、仏様は授けてくださるんです。
以前に「 同行二人 」のお話をしましたが、それと少し似ているでしょうか。
↓
「 同行二人+瞑想歩行 」で心の重荷を取り除く( 2024.1.17 )
さて、お参りも済んだので、横大路沿いに西に向けて歩いて行きましょう。
低っ。
「 けた下制限高1.6メートル 」
低すぎるやん。
こんなん絶対当たるやつやん。
身長167センチの私が立って、頭上のクリアランスは5センチもないくらい。
ノアとかセレナとかだと100パーセント激突しますね。
軽ハイトワゴンでも、かなりの確率でこすりますね。
実際、ホンダNBoxがここを通過するときに「 コトン 」って逝ってましたし。
ときどき、こういう古い長屋風の建物が残っています。
鉢植えのお花が飾ってあったりして、
古いながらも手入れが行き届いた、素敵な佇まいです。
横大路沿いに立つ道標。
下の部分が地中に埋れているらしく、文字が途中で切れています。
嘉永元年( 1848 )年の文字が見える。
180年近く前からここに立っているんですね。
すごいです。
こちらは「 弘化4年 」とあるが、これは「 嘉永元年 」と同じ年らしい。
曲川児童公園にて。
ちなみに小さい頃、児童=自動だと思っていて、
何が自動で動くんだろうって不思議に思ってました。
がおー。お前なんかひと飲みだぞ!
なんやお前? あ? 喧嘩売っとんのか?
おいおい、こんなとこで喧嘩すなや( 訳:こんなところで喧嘩するなよ )。
とばっちりくろたらかなわんわ〜( 訳:巻き込まれるのは嫌だー )。
あーこわ。隠れとこ( 訳:恐ろしいので隠れておこう )。
伝わらないと困るので訳をつけておきました。
大和高田市に入って、市内を散策。
路地に沿って水路が走っているのは、古い町でよくみかけますね。
お寺ギリギリに電車が通る。
こういう風景、かなり大好物です。
この路線( JR和歌山線 )は、1896年( 明治29年、当時は南和鉄道 )に開業したそうですが、
そのとき、お寺の人たちはさぞ困惑したんじゃないでしょうか。
静かな環境がぶち壊しになるし、汽車の火の粉で火災の心配もあっただろうし…
そういったことを思うと、
歴史やそこに生きた人々の思いが偲ばれて興味深いですね。
似通った名前の駅が3つもあってややこしい。
このややこしさ、地元奈良県民ですら勘違いするレベル。
明治時代から小さな民営鉄道がたくさん出来て、しのぎを削っていた名残ですね。
公園にタイムカプセルがあった。
開封日は2048年1月1日。
俺が生きていたら81歳。まだ生きてるかなぁ?
よし!
このタイムカプセルが開くまでは絶対元気に生きてやるぞ!
この続きは次回に。
ではまた!