お疲れ様です。あかばです。1年の頃、あかば→あちゃば→ちゃば(茶葉)から派生して茶柱が立ってるマウスのモックアップを制作しました。名付けてCheer bashiraです。先生にめっちゃ笑われました。


最後の土曜練!ということでリレーとかがあったメニューでした。



啓太ありがとう!

なぜか着替える時にマネも水着に着替えていて、あれ、選手増えた?って勘違いしそうになりました。



ここから雑談↓息抜きにどうぞ



皆さん学期末お疲れ様です。私はテストはないですが、6個中4個の作品を出し終えて、あと2個、ムズイやつとそこまでむずくないけど、凝り始めて、あ、むず、って思い始めたけど後戻りできないところまで来てしまいどうしよ状態のが残っています。早めに終わらせて夏休みに入りたい、、




がこから高校留学の話でも書いたらと話題提供してもらったのでその時の話をちょこっとだけ


その時にエンリピしてた曲と共に

https://youtu.be/9lVPAWLWtWc?si=DXCym9dnDHP3d3zo


https://youtu.be/xIiiGJNlnaI?si=0zAfrBKv3Ht8wTtq

seasonとピカンチは特におすすめ



私は都立高のプログラムの一環でオーストラリアに10ヶ月ほど、コロナ禍真っ只中に高校留学に行ってました。出発が2020年1月末というコロナ前最後の留学生でした。ホームステイをしながら現地校に通い、時々友達と遊びに行ったり、1人で街に繰り出して美術館に行ったり買い物したりして過ごしてました。向こうのプールは全部長水で夏は放課後泳ぎに行ってました。授業は簡単だったし、テストは電卓持ち込み可が多く、中学以来久しぶりに高得点を出して喜んでました。地学は落としかけたけど。


ホストマザーは誕生日を祝ってくれたり、先生はレポートを添削してくれたり、友達は分からない単語を教えてくれたりと本当に環境と人に恵まれました。学校でたこ焼きを作ったこともありました。


初め2、3ヶ月は緊張しっぱなしで疲労感がえげつなかったけど、その後は普通に生活してました。ただバスのアクセスが激悪なので無駄に多く歩いた覚えがあります。路線間違えて、ここどこだよっとなったことが何回もありました。


ものすごく端折っちゃったけど、こんな感じです。特に成し遂げたいことがあって行った訳じゃないし、楽しかったなぁっていう感想しか持って帰らなかったけど、留学ってそんなもんです実際。会話が日本語じゃないだけです。ただ17、18歳を一人で誰も知らない地で過ごしてサバイバル能力は付きました。それに自分の好きなことがはっきり見えて、インダス受けようって決めたもの留学中でした。得たものはいっぱいありました。

こうして受験期に突入していくのでした。




思い出したくないくらい大変だったこともあるけど、トータルで考えた時に行ってよかったなって思えたので、懲りずに行きたーいって思ってまた行くことになったのかもしれません。




また続きはどこかで


次、今日白目を披露してくれたきょす。レポートできた?