アクロポリス観光後は、古代アゴラへ。
アクロポリスから古代アゴラは、約1.4km、徒歩で15分ほどです。
アクロポリス遺跡
古代アゴラ入り口
古代アゴラ(Ancient Agora)は、アクロポリスのすぐ隣にある遺跡です。アゴラとは、現代では「市場」をさす語として使われていますが、古代ではもっと広く、政治、宗教、文化的施設が集中していた「人の集まる所」を意味し、古代ギリシアでは市場や集会所などがある公共広場を指します。アテネ市民にとって信仰の中心がアクロポリスであるのに対し、その麓にあるアゴラは生活の中心として重要な場所でありました。紀元前6世紀頃から発展し、商店や評議会場、裁判所などの公的施設が置かれました。多くの古代ギリシャの男性たちが、ここで買い物をしたり(当時は男性の役目だった)、政治を論じたり、雄弁家の話を聞いたりなど、情報交換をする場としても利用していたそうです。紀元前1世紀頃から衰退し始め、次第に住宅地へと姿を変え、活動の中心は100mほど東のローマ時代のアゴラへと移っていきました。1931年よりこの遺跡の発掘が始まり、現在も発掘・復旧作業が進められています。
紀元前15世紀ごろ、ローマの将軍アグリッパが建造した2階建ての音楽堂『アグリッパの音楽堂(Odeon Agrippa)』。当時は約1000人の観客を収容することが可能だったが、267年に焼失してしまいました。今は、音楽堂前に建っていたと考えられる、頭部を失った巨人とトリトン(半人半魚)の像3体のみが残っています。
古代アゴラから見えるアクロポリス
『アタロスの柱廊(古代アゴラ博物館)(Stoa of Attalos)』
アタロスの柱廊(古代アゴラ博物館)は、ギリシャ遺跡の中でただひとつ、完全に復元された建造物です。紀元前2世紀に造られた市場兼集会所だったもので、ペルガモンの王アトラス2世が、アテネで学問を学んだことへの謝礼として寄贈しました。
長さ約115m、幅約20mの2階建てで、かつては42軒の商店が並んでいた大掛かりな建物です。1階の外側に45本のドリア式列柱が、中間に22本のイオニア式列柱が並んでいます。
館内は古代アゴラ博物館として、修復された10軒の古代商店の中に多数の発掘品が並べられています。
長さ約120m、幅約15mの『中央柱廊(Middle Stoa)』。いわゆる「市場」があった場所で、今はこのようにふきっさらしの地面になっていますが、当時は柱と屋根で構成され、市民同士の物の売買や情報交換の場に使われていたそうです。
紀元1000年頃に建てられたビザンチン様式のキリスト教会『アギイ・アポストリ教会』。