アウシュヴィッツ強制収容所から約2kmほど離れた所にある「第二強制収容所ビルケナウ」です。
面積は1.75㎢(東京ドーム約37個分)、300棟以上のバラックが並び、アウシュヴィッツよりもさらに大規模な収容所であり、一大殺人工場であったところです。
1941年に建設が開始され、1945年にソ連軍によって解放されるまでに百数十万人の命が奪われたといわれています。
「死の門」と呼ばれたゲートです。
人々が押し込まれた貨車が通る線路は、ヨーロッパ中から繋がっていました。
見渡す限り草の茂った広大な敷地に、点々と木造のバラックが建っています。