瞑想を始めてから、何気なく考えていたことが現実化したということが増えました。純粋意識のレベルから考えることができれば、想念は即座に実現されるとマハリシは話しています。ですので、規則的に瞑想し、純粋意識の体験が成長するにつれて、願望を実現する能力も高まってくるということです。

自分自身の体験を振り返っても、確かに瞑想を始めてから願望が実現しやすくなったという感じがします。例えば、ユートピア編集室で仕事をしていた頃、ある瞑想者の方から「お金も時間もないけど、いつかはシダーになりたい」という投稿がありました。それに対して「私もいつかTM教師になりたいと思っています。お金はまったくないけど自然の支援で必ず願望は実現されるはず!」なんてコメントを書いていました。そのときは、あまり深く考えず、ただ相手に合わせて気楽にコメントを書いただけでした。しかし、その翌年に特別な教師養成コースが開催されて、全くお金がないにも関わらず、自然の支援で教師になることができました。あのときは奇跡のようでしたね。自分の意志というより、自然の強力な力が働いて、TM教師になる方向へと私を押し流してくれたようでした。

他にも、ユートピアの仕事をしていた頃に、そのときの特集記事に合わせて、コンピュータでイラストを描いていました。その頃、マハリシ・ヴェーダ科学に関するマハリシの講義を紹介することがよくありましたが、それが非常に難解で全く理解できない。しかし、わからないからこそ、「この知識を理解したい。もし、この知識をイラストで図示できたら、それほど難しいことではないのではないか」と感じていました。そうしたら、オランダの教師養成コースを卒業した後、オランダの国際本部に残り、教材制作の仕事をすることになりました。その教材は、マハリシ・ヴェーダ科学に関するもので、ちょうど知識を図を使って表現するような仕事でもありました。

こんな感じで、瞑想していると、ふと思ったことが実現するようになってきます。これは本当に素晴らしいTMの効果です。
混み合っている交差点で誰かとぶつかったとき、「どうもすみません」とお互いに謝り合うのは美しいことです。何か問題が起こったとき、先ず先に自分の非を謝ることで、お互いに気持ちよく問題を解決することができます。

「外国では、相手に謝ると、自分に非があることを認めるようなものだから、めったやたらに謝るべきではない」などと言われることもあります。しかし、そのような荒れた文化を私たちの国の文化に取り入れるべきではありません。お互いに謝り合うことはとても美しい文化です。まず自分の方から折れることで、私たちは自然からの支援(神様の祝福)を得るのです。
誰かと口げんかになったとします。相手が自分のことを罵るので、それを不満に思い、今度は相手のことを罵り始めます。そうなると売り言葉に買い言葉、口げんかはさらに激化していきます。このような口喧嘩は、お互いを傷つけ合うだけで、何も得るものはありません。

ですから口げんかになったときには、できるだけ早い段階でどちらかが引き下がらなくてはなりません。話すことを止めてしまうことです。相手から罵られれば、むっとして言い返したくなるものです。しかし、「ムッ」とした気持ちをもちながらも、「これに言い返してもしかたない。互いにマイナスなだけで得るものはない」という思いがあると、その言葉を受け流すことができるものです。

それができるようになったのは、たぶん瞑想をお陰だと思います。瞑想して内側に静かな安定した自分が維持されるようになると、むっとした気持ちが起こっても、その気持ちに巻き込まれなくなってきます。不満に思っている自分と、「言い返してもしかたない」と思っている自分がいて、そんなときには、相手の言葉にのってしまうことなく、受け流すことができるものです。

そして、相手の方に非があったとしても自分の方から折れることで、その後で必ず自然の支援がやってくるものです。まるで相手の言葉に乗らなかった自分を、自然が讃えてご褒美をくれるかのようです。それが何度も起こるので、今では、誰かに不当に罵られても、「自然の支援を受けるチャンスだ」と思えるようになりました。売り言葉を買うことなく、受け流すことことができれば、私はとても大きなものを得ることができるからです。