二〇〇九年四月に、元ビートルズのポール・マッカートニーとリンゴ・スターは、超越瞑想を1万人の学生に教える世界的なキャンペーンに賛同し、ニューヨークでのチャリティーコンサートに参加しました。それをきっかけに、ビートルズとマハリシの交流を「再評価」するマスコミの報道が増えてきました。そこで今回は、TM運動のリーダーの一人であるフェリックス・ケーギが書いた、マハリシとビートルズに関する記事をご紹介いたします。

マハリシとビートルズ:本当は何があったのか?
2010年6 月24日 フェリックス・ケーギ
ビートルズは一九六八年にマハリシと出会い、リシケシでマハリシと数週間を過ごし瞑想を学んだ。ビートルズとマハリシの交流について、マスコミでは多くの報道がなされ、インターネットのブログでもその話題が取り上げられ、マハリシと彼の瞑想法の人気が高まっている。けれども多くの人々は、ビートルズがマハリシや超越瞑想の世界的な運動に影響を与えた以上に、マハリシがビートルズに大きな影響を与えたことについては何も知らない。
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは二〇〇八年二月五日に逝去した。ビートルズがリシケシを去ってからおよそ四十年後のことである。ジョン・レノンはマハリシに再び会うことはなかったが、何年か後に電話を通して、彼の若気の至りが起こした不幸な出来事についてマハリシに謝罪した。その出来事とは、マハリシが不正行為を犯したという非難をジョンが公然と行ったことだが、それはマハリシにとってまったく謂われのない非難であり、すべてはジョン自身の激しい気性から起こった出来事だった。一方、ジョージ・ハリスンは世界的なTM運動の中で、マハリシとの交流を維持し、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターは瞑想を続けていて、結局はマハリシの運動との交流を再開した。
マハリシの逝去に際して、ニューヨーク・タイムズはビートルズとマハリシの交流を「再評価」する記事を掲載した。長い歳月が過ぎた後にマスコミがようやくこの件を正しく伝えるようになったのは喜ばしいことだ。
「インドでの経験」、すなわちビートルズがマハリシと共に過ごして超越瞑想を実践したことで、ビートルズの創造性はせきを切って流れ出し、そして「彼らはマンネリ状態に陥ることの恐怖から抜け出した」とタイムズの記事は報じている。
その記事はさらに、マハリシと過ごした時期はビートルズの人生でもっとも生産的な時期であったと表現し、次のように記している。
「マハリシと出会う前、ビートルズは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をリリースしていた。そのアルバムを作ることの意義のひとつは、ビートルズであるというストレスから生じた不活発な状態に打ち勝つために、ビートルズではない何か他のもの、つまりサージェント・ペパーという架空のバンドを装うことにあった。このアルバムにはビートルズのもっとも素晴らしい音楽が何曲か入ってはいるが、アルバムに入れる他の曲を作るのに苦心惨憺することになった。レノンは苦心のあげく、サーカスのポスターの宣伝文句からヒントを得て一曲を作り、コーンフレークのコマーシャルを元にしてもう一曲を作った。そうやってとにかく自分の持ち分をこなそうとしたのだと後に彼は述懐している。だが、リシケシで過ごした後、ビートルズは持てあますくらい多くの新曲を生みだすようになっていた。」
ビートルズ通の人々や音楽制作者たちは大抵、「ホワイト・アルバム」をビートルズの最高傑作と考えている。だが、ビートルズのインドでの経験、そして「内面から変わる」ことの影響が、彼らの創造性と作詞能力を高めたことに気づいている人は少ない。マハリシの教える瞑想法は、マハリシが説明しているように、「すべての人の内側に備わるエネルギー、創造性、知性の無限の宝庫」を利用するための方法である。活力を取り戻し、創造性を高める「超越」の効果をビートルズが立証してから四十年。現在では、何百もの科学的研究が、超越瞑想を通じて創造性と知性が刺激され、人生のあらゆる面に恩恵がもたらされることを証明している。
しかし、ビートルズのインドでの経験に関するマスコミの報道は、ジョン・レノンがマハリシのアシュラムから突然退去したことをめぐる扇情的なエピソードに関するものがほとんどであった。マハリシとビートルズとの間で、本当は何があったのだろうか?
レノンは最初、「ホワイト・アルバム」の中の「セクシー・サディー」という曲の歌詞に「マハリシ、あんたはなんてことをした。あんたはみんなをバカにした」と書いた。何かしらジョンを不機嫌にさせる出来事があったことは間違いない。しかし、マスコミにより誇張された、マハリシが不正な行為をしたという主張は、結局なんの根拠もないことが明らかになった。
一九八〇年にレノンが亡くなって数年後、ハリソンとマッカートニーはマハリシへの非難について公の場でコメントした。マッカートニーは、性的な不正行為というのはアレクシス・マーダスによって立てられた噂であり、「マーダスは発明家という触れ込みのペテン師で、ビートルズの内部関係者の中に入り込んできた男だった......」と語っている。多くの消息筋によれば、その噂は全部彼がでっち上げたものだった。ハリソンとマッカートニーはどちらもマハリシの潔白を確信しており、一九九〇年代になってようやくマハリシとの関係を回復して謝罪した。ジョン・レノンの最初の妻であるシンシア・レノンは、その噂はビートルズがマハリシから影響を受けるのを邪魔しようとしてマーダスが捏造したのだと述べている。
ハリソンは後年、「今となっては昔のことだが、あってはならないことが起こっているという噂が持ち上がった。だがそれはまったくのデマだった。... その当時は少し変な連中がまわりにいて、ボクらもそんな連中の一人だったのさ」と語っている。マッカートニーも自伝の中で同じように語り、そんな疑惑は信じていなかったし、その原因はマーダスにあったと書いている。ビートルズの中では瞑想への「入れ込み」が最も少ないと言われていたリンゴでさえ、マハリシと過ごした経験について好意的にコメントしている。彼は著書『ポストカーズ・フローム・ザ・ボーイズ』の中で、今でもマハリシから授けられたマントラを使って瞑想していること、そして、リシケシで過ごした時期が彼の人生で最高の経験の一つだったことをつづっている。
瞑想の教師としてマハリシが大きな成功を収めたのは、ビートルズのおかげだろうか? それとも、マハリシの業績は彼自身の教師としての能力の結果であり、TMが人々の人生にポジティブな影響を与えてきたからだろうか? 五〇年にわたって超越瞑想は世界中の何百万人に教えられてきた。そして、ハーバード大学メディカルスクール、 UCLA、スタンフォード大学、イェール大学など230以上の研究機関で、600件を超える科学的研究が行われてきた。こうした研究によってTMの恩恵が証明された現在、超越瞑想の成功の原因を一組のロックバンドだけに帰するのは無理な見方というものだ。アメリカ国立衛生研究所は、脳機能や心血管系の健康に及ぼす超越瞑想の影響を研究するために、これまで2400万ドルの資金が提供してきたが、こうした研究はロックンロールとは何の関わりもない。そんなことで、これだけの資金が提供されるわけはないのだ。
ビートルズが関与したことで、マハリシと瞑想に一般の注目が集まったのは確かである。瞑想は何千年も前から存在してはいるが、ビートルズをめぐる報道を通じて人々がこの瞑想法について初めて知ったことで、瞑想がストレス解消、健康増進、自己啓発の手段として認識されるようになり、多くの人々が超越瞑想を学んだのである。しかし、一部の人々が主張してきたように「ビートルズの報道」がマハリシの成功につながったと断言することには疑問がある。なぜなら、それらの報道はほとんどがネガティブなものであり、瞑想の恩恵に関する報道よりも、マハリシに対する批判的な報道の方が多かったからである。長い年月が過ぎ去り、今では超越瞑想がビートルズのおかげで「成功」したのではないことは明らかである。
そして四〇年を経た今、ビートルズは再び人々を瞑想に導いている。ポール・マッカートニーは、超越瞑想を学生たちに普及させるために「変化は内側から始まる」と銘打った慈善コンサートを催した。このコンサートは二〇〇九年四月に、ニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールで開かれ、シェリル・クロウ、ドノヴァン、ベン・ハーパー、モービー、ポール・ホーン、ビーチボーイズのマイク・ラブ、パール・ジャムのエディ・ベッダー、その他多くのアーティストが出演した。
誤った思いこみから作られた「セクシー・サディー」。ポール、ジョージ、リンゴは、その曲の歌詞とタイトルを変えるようジョンに強く求めた。おそらくジョンは内心では真実がわかっていたので、その求めに黙って従ったのだろう。もちろん、ビートルズの曲の中には、マハリシからインスピレーションを受けて生まれた、もっとポジティブな曲もたくさんある。「アクロス・ザ・ユニバース」もそうした曲の一つであり、ジョンはこの曲の歌詞を彼の生涯で最高の作品だと考えていた。
マハリシは五〇年以上にわたって、偉大なヴェーダの聖者の観点から、生命の本質について詳しく説いてきた。「意識の分野のアインシュタイン」と呼ばれるマハリシは、人生に変化をもたらす瞑想の恩恵を、科学の基盤の上に確立し、この科学の時代により高い意識状態への道を開いた。そしてマハリシは、ビートルズの心と理性を、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」よりもはるかに素晴らしい真実へと導いた。その真実が彼らの人生を永遠に変えたのだ。

マハリシとビートルズ:本当は何があったのか?
2010年6 月24日 フェリックス・ケーギ
ビートルズは一九六八年にマハリシと出会い、リシケシでマハリシと数週間を過ごし瞑想を学んだ。ビートルズとマハリシの交流について、マスコミでは多くの報道がなされ、インターネットのブログでもその話題が取り上げられ、マハリシと彼の瞑想法の人気が高まっている。けれども多くの人々は、ビートルズがマハリシや超越瞑想の世界的な運動に影響を与えた以上に、マハリシがビートルズに大きな影響を与えたことについては何も知らない。
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは二〇〇八年二月五日に逝去した。ビートルズがリシケシを去ってからおよそ四十年後のことである。ジョン・レノンはマハリシに再び会うことはなかったが、何年か後に電話を通して、彼の若気の至りが起こした不幸な出来事についてマハリシに謝罪した。その出来事とは、マハリシが不正行為を犯したという非難をジョンが公然と行ったことだが、それはマハリシにとってまったく謂われのない非難であり、すべてはジョン自身の激しい気性から起こった出来事だった。一方、ジョージ・ハリスンは世界的なTM運動の中で、マハリシとの交流を維持し、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターは瞑想を続けていて、結局はマハリシの運動との交流を再開した。
マハリシの逝去に際して、ニューヨーク・タイムズはビートルズとマハリシの交流を「再評価」する記事を掲載した。長い歳月が過ぎた後にマスコミがようやくこの件を正しく伝えるようになったのは喜ばしいことだ。
「インドでの経験」、すなわちビートルズがマハリシと共に過ごして超越瞑想を実践したことで、ビートルズの創造性はせきを切って流れ出し、そして「彼らはマンネリ状態に陥ることの恐怖から抜け出した」とタイムズの記事は報じている。
その記事はさらに、マハリシと過ごした時期はビートルズの人生でもっとも生産的な時期であったと表現し、次のように記している。
「マハリシと出会う前、ビートルズは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をリリースしていた。そのアルバムを作ることの意義のひとつは、ビートルズであるというストレスから生じた不活発な状態に打ち勝つために、ビートルズではない何か他のもの、つまりサージェント・ペパーという架空のバンドを装うことにあった。このアルバムにはビートルズのもっとも素晴らしい音楽が何曲か入ってはいるが、アルバムに入れる他の曲を作るのに苦心惨憺することになった。レノンは苦心のあげく、サーカスのポスターの宣伝文句からヒントを得て一曲を作り、コーンフレークのコマーシャルを元にしてもう一曲を作った。そうやってとにかく自分の持ち分をこなそうとしたのだと後に彼は述懐している。だが、リシケシで過ごした後、ビートルズは持てあますくらい多くの新曲を生みだすようになっていた。」
ビートルズ通の人々や音楽制作者たちは大抵、「ホワイト・アルバム」をビートルズの最高傑作と考えている。だが、ビートルズのインドでの経験、そして「内面から変わる」ことの影響が、彼らの創造性と作詞能力を高めたことに気づいている人は少ない。マハリシの教える瞑想法は、マハリシが説明しているように、「すべての人の内側に備わるエネルギー、創造性、知性の無限の宝庫」を利用するための方法である。活力を取り戻し、創造性を高める「超越」の効果をビートルズが立証してから四十年。現在では、何百もの科学的研究が、超越瞑想を通じて創造性と知性が刺激され、人生のあらゆる面に恩恵がもたらされることを証明している。
しかし、ビートルズのインドでの経験に関するマスコミの報道は、ジョン・レノンがマハリシのアシュラムから突然退去したことをめぐる扇情的なエピソードに関するものがほとんどであった。マハリシとビートルズとの間で、本当は何があったのだろうか?
レノンは最初、「ホワイト・アルバム」の中の「セクシー・サディー」という曲の歌詞に「マハリシ、あんたはなんてことをした。あんたはみんなをバカにした」と書いた。何かしらジョンを不機嫌にさせる出来事があったことは間違いない。しかし、マスコミにより誇張された、マハリシが不正な行為をしたという主張は、結局なんの根拠もないことが明らかになった。
一九八〇年にレノンが亡くなって数年後、ハリソンとマッカートニーはマハリシへの非難について公の場でコメントした。マッカートニーは、性的な不正行為というのはアレクシス・マーダスによって立てられた噂であり、「マーダスは発明家という触れ込みのペテン師で、ビートルズの内部関係者の中に入り込んできた男だった......」と語っている。多くの消息筋によれば、その噂は全部彼がでっち上げたものだった。ハリソンとマッカートニーはどちらもマハリシの潔白を確信しており、一九九〇年代になってようやくマハリシとの関係を回復して謝罪した。ジョン・レノンの最初の妻であるシンシア・レノンは、その噂はビートルズがマハリシから影響を受けるのを邪魔しようとしてマーダスが捏造したのだと述べている。
ハリソンは後年、「今となっては昔のことだが、あってはならないことが起こっているという噂が持ち上がった。だがそれはまったくのデマだった。... その当時は少し変な連中がまわりにいて、ボクらもそんな連中の一人だったのさ」と語っている。マッカートニーも自伝の中で同じように語り、そんな疑惑は信じていなかったし、その原因はマーダスにあったと書いている。ビートルズの中では瞑想への「入れ込み」が最も少ないと言われていたリンゴでさえ、マハリシと過ごした経験について好意的にコメントしている。彼は著書『ポストカーズ・フローム・ザ・ボーイズ』の中で、今でもマハリシから授けられたマントラを使って瞑想していること、そして、リシケシで過ごした時期が彼の人生で最高の経験の一つだったことをつづっている。
瞑想の教師としてマハリシが大きな成功を収めたのは、ビートルズのおかげだろうか? それとも、マハリシの業績は彼自身の教師としての能力の結果であり、TMが人々の人生にポジティブな影響を与えてきたからだろうか? 五〇年にわたって超越瞑想は世界中の何百万人に教えられてきた。そして、ハーバード大学メディカルスクール、 UCLA、スタンフォード大学、イェール大学など230以上の研究機関で、600件を超える科学的研究が行われてきた。こうした研究によってTMの恩恵が証明された現在、超越瞑想の成功の原因を一組のロックバンドだけに帰するのは無理な見方というものだ。アメリカ国立衛生研究所は、脳機能や心血管系の健康に及ぼす超越瞑想の影響を研究するために、これまで2400万ドルの資金が提供してきたが、こうした研究はロックンロールとは何の関わりもない。そんなことで、これだけの資金が提供されるわけはないのだ。
ビートルズが関与したことで、マハリシと瞑想に一般の注目が集まったのは確かである。瞑想は何千年も前から存在してはいるが、ビートルズをめぐる報道を通じて人々がこの瞑想法について初めて知ったことで、瞑想がストレス解消、健康増進、自己啓発の手段として認識されるようになり、多くの人々が超越瞑想を学んだのである。しかし、一部の人々が主張してきたように「ビートルズの報道」がマハリシの成功につながったと断言することには疑問がある。なぜなら、それらの報道はほとんどがネガティブなものであり、瞑想の恩恵に関する報道よりも、マハリシに対する批判的な報道の方が多かったからである。長い年月が過ぎ去り、今では超越瞑想がビートルズのおかげで「成功」したのではないことは明らかである。
そして四〇年を経た今、ビートルズは再び人々を瞑想に導いている。ポール・マッカートニーは、超越瞑想を学生たちに普及させるために「変化は内側から始まる」と銘打った慈善コンサートを催した。このコンサートは二〇〇九年四月に、ニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールで開かれ、シェリル・クロウ、ドノヴァン、ベン・ハーパー、モービー、ポール・ホーン、ビーチボーイズのマイク・ラブ、パール・ジャムのエディ・ベッダー、その他多くのアーティストが出演した。
誤った思いこみから作られた「セクシー・サディー」。ポール、ジョージ、リンゴは、その曲の歌詞とタイトルを変えるようジョンに強く求めた。おそらくジョンは内心では真実がわかっていたので、その求めに黙って従ったのだろう。もちろん、ビートルズの曲の中には、マハリシからインスピレーションを受けて生まれた、もっとポジティブな曲もたくさんある。「アクロス・ザ・ユニバース」もそうした曲の一つであり、ジョンはこの曲の歌詞を彼の生涯で最高の作品だと考えていた。
マハリシは五〇年以上にわたって、偉大なヴェーダの聖者の観点から、生命の本質について詳しく説いてきた。「意識の分野のアインシュタイン」と呼ばれるマハリシは、人生に変化をもたらす瞑想の恩恵を、科学の基盤の上に確立し、この科学の時代により高い意識状態への道を開いた。そしてマハリシは、ビートルズの心と理性を、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」よりもはるかに素晴らしい真実へと導いた。その真実が彼らの人生を永遠に変えたのだ。