幼少期は、まぁよく怒られる子どもでした。
押入れに入れられたり
フローリングの床で何時間も正座させられたり
日常茶飯事でした。
今思えば、父が居ない日ばかりでした。
父になんで助けを求めなかったか?
求めて、それに対して逆上されてもイヤだし…
そもそも、わたしがダメな子だから怒られてるんだと思っていたから。
ある時、隣町に家を建てようという話になっていて庭木や花が好きだった継母は
嬉しくて、ずっと機嫌が良かったような気がします。
父が居る日は、夜な夜な3人で車に乗って
建築中の新居を見に行っては進み具合の確認や間取りを見たりしていました。
そんな車の中で3人が演歌を口ずさんだりして
思わず
「なんか幸せってかんじするね」ってわたし言ってました。穏やかな幸せな時間を感じたのでしょうね子どもながら…
そんなわたしの言葉を聞いて父も継母も
顔を見合わせて微笑んでいたのを覚えています。
後にも先にもわたしが幸せを感じた時は
その日だけでした。
無事、家が建ち
わたしたちは引っ越しました。
新しいお家で新しい友達ができ幸せな日が待ってると思っていましたが…
継母はやっぱり変わらなかった…
新しい家を建てたところは少し田舎だったので
夜中、継母が出かけることは
ずいぶん減って月に一度ぐらいでした。