悲しい、寂しいお知らせしか出来なかったり、
聞けなかったり

そんな日々が続いた20NiziU年でした。


体感的には「何も無く」
心象的にはいろいろな事が「あり過ぎた」

そんな一年でした。

どっちにしろ、そこから導き出されるのは苦痛でしかなく。

控えめに言って
生殺しの生地獄でしたね。



まぁ、一応
2020年を振り返りつつ、駄々喋りしましょうかね?

と言っても配信ではないので喋ってはいないんですが...


...そう、「配信」

おそらくバンドマンなら今年「コロナ」の次くらいに使用した単語がこれなんじゃないですかね?いや、そんな事ない?


近年は動画サイトの流行もあって配信というものが宣伝活動のツールとして一般化しました。


アーティストによっては商業誌よりも配信活動に力を注いでいる人もいるくらいです。


使い方によっては予算を抑えて効率的に宣伝出来ますからね。

スキルさえ身に付ければ個人単位で発信出来るツールなわけで。

勿論、それをいかに「効率よく」伝播させて行くのかが重要かつ難しいわけで...それが出来ないとただの垂れ流しなんですけどね苦笑



我々の業界でも動画による企画を率先して行うのが通例、スタンダードとなっていました。


勿論悪い事では無いと思いますが、これは同時にアーティストの多様化やタレント化が求められる事となり、活動方針や音楽性によってはそのバンドのイメージに関わるために必ずしも全てのバンドに適した活動では無いとも言えます。

だから自分なんかは向かないタイプなんですけどね。



また、展開する以上は当然クオリティを求められるわけで、アーティストの発言や行動、リアクションのひとつひとつ、編集力にも差異や力量が顕著に現れます。

これは最早、ライヴのクオリティや音源の完成度と共に求められるものとなり、立派な活動として軽視出来ないものとなりました。

故に相応の品質や品位も求められるとは思います。



はい、


ここまでは2020年に世界を襲ったこの最悪の災厄「新型コロナウイルス」が猛威を奮う「前まで」のお話。


この一年で環境は一変
平和という飽和の澱みにあった日常は姿を変え、
マスクの下に表情は隠され、
唯一晒された目は他人の視線を過剰に意識し、
耳に飛び込んで来るのは醜聞ばかり。
人は人を疑い、罵り、
国へは憤りと不平不満を募らせ
お茶の間に夢や笑顔を振り撒いてくれた偉大な存在が犠牲になり

怒りと悲しみが世界を満たしました。

エンターテイメントは敵とされ
ライヴハウスはメディアに露骨な迄に悪しき場所と祭り上げられ
ライヴハウスに興味も縁も無い大衆ははまんまと欺かれて糾弾し、そう転嫁する事で自分の正義と常識的見地を誇示し、またそれを行う事で鬱積した感情を吐き出し、自らの精神に僅かながらの安堵感と充実感で心の空腹と枯渇を満たすようになりました。

今はその矛先が変わっただけでしょう。


とまぁ、とにかく皮肉ってやりましたが苦笑


呪ってやりたいね
誰をとは言わないけど。
呪術廻戦。


世間様から指を差され白い目で見られながらもバンドやアーティストやアイドル、スポーツ選手、舞台俳優、役者etc...それを愛する人達は歯を食いしばって耐える日々でした。


いや、耐える日々です。なうなう!


そんな中で、いよいよ強制的にそれらの人間に求められたもの


無観客配信


「客入れが出来ないなら配信すりゃ良いじゃん。」


さほど興味が無い人々は無責任に軽率にそう言うでしょう。

テレビ文化で育ち、フィクションとノンフィクションの境が曖昧で、リアルを追い求めない性質の人々には想像出来ない範疇の事なのでしょうね。




けれど、それは
ステージの上の人々にとってはそう簡単な事では無かった。


リアルの中に生きる人々は
喝采を受ける側、贈る側
今体感している事象と感動、衝動、価値観の共有
互いの体温や息遣い
同じものは2度生まれないという、その刹那の中に個としての生の喜びを見出し
それを糧に日々を生きている。


そんな人達にとって
Realと virtualの境が曖昧になる事が
また、それを理解する事が
どれほど一筋縄ではいかない事か。

(勿論、これは好きか嫌いかではなく、向き不向きや適応出来るか出来ないかの話)


勿論それを「外の人」に理解しろとは言わないし、強要も出来ない。
価値観の相違が生み出したものは、理解できないものでもそれはそれ、と相手を慮る器量や度量が備わっていなければ互いの意見は並行線をKURE556を噴いた滑車が転がる様なもので。



けれど、
行動しなければいけない。
活動しなければいけない。
出来る事の中で手段を見出さなければならない。


これは生活が、とか
収入が、とか

それだけの話ではなく

活動する事によって生きる意味や活力、自分の価値を見出している人達も一定数たしかに存在していて

また、それによって支えられている人達がいる事を自らが自覚し、責任を持っているからこそ。


これはバンドマンとかアーティストに関わらず、スポーツ選手や芸人さんや俳優タレントに至るまで

結果的にだとしても
「人の前に晒される事」を選んでいる人達が時々刻々と変化する状況の中で矢継ぎ早に求められる「答え」ではなく「応え」

強迫観念に近い状況の中で
焦るな、迷うなというのが無理な話で。




その中で、自分達が各々で正しいと思う選択をし、

それに自らが責任を持つ事。

それが大切なのだと思います。個人的に。



この状況において
受動的な道を選ぶのも
能動的な道を選ぶのも
生き残る為にはどちらの選択も間違えではなく
それを誤解なく互いに慮る事が出来たらと
ただただ、それを願うばかりです。

これはステージ側だけでなく、客席側も同じで。


ライヴに行く事を選んだ人にも
泣く泣く大事を取る事を選んだ人も
それぞれの優先順位や危機管理能力を天秤にかけた価値観で選んだ事で
 
そこに責任さえ持てるならばどちらも間違っていない筈です。

だから
互いの理念を否定する事だけはやめて欲しいな、と。

無益だもの。






と、まぁ
あくまでも「個人的な」価値観と認識の範疇でお話をしましたが...




なんだこりゃ
こんなん2020年の回顧じゃねえよ...


別にこんな硬っ苦しい事を言いたかった訳じゃないんだけどさ、こんな状況に陥ってしまったら口を衝いて出るのはこうもなるのさ苦笑


それに尽きるよね...今年は
あと何を語れと。

もっと楽しかった話とか美味しかった話とかしたいよそりゃあ。

小堺一機さんに呼ばれてライオンの提供でサイコロ振りたいよ?

これじゃ出目が6面全部コロナだよ。

席替えしてもゲスト3人話題被るわ。



と言っても
出来る事と出来ない事
向いてる事、向いてない事
美しいと思う事と醜いと思う事
カッコいいと思う事、ダサいと思う事

その価値観はどんな状況であれ揺らぐ事無く
自分の中できっちり線引きする。

手っ取り早く脳筋馬鹿っぽく言うならば
変わらずやりたいようにやる。

与えられた環境の中でベストを尽くしたいなってのが来年以降の抱負にも繋がるかと。


良い機会だし
配信というものにも真剣に向き合って
配信と生ライヴの違い
双方の利点みたいなものを使い分けつつ自分なりに提示して

配信でこそ見せられるものは配信で
生ライヴでこそ見せられるものは生ライヴで

そこに付加価値と自分なりの意味を以って


配信しか出来ないから仕方なく配信する、みたいな惰性でやるより
せっかくなら、自身が楽しんでしまおう。

と思っています。

本質的な部分は変えずに、実は配信と生ライヴでは意図的に表現方法を変えてたりするんだ。


勿論、その意思や手法の差異が支えてくれている人達にまで伝わってはじめて成功と言えるわけで

出来なきゃただの勘違い自己顕示欲高めの底辺自称アーティストだよね。





勿論、否定的な意見もあるのでしょう。
やっぱりライヴは生じゃないと意味がない。と

それが無くなるならバンド追うのをやめようかなって方もいるって話は、親しい間柄のバンドマンからも耳にします。

それを引き留める事は出来ない。
それもまた個人の価値観だから、その選択自体は何も間違えていないと思います。

その価値観を変えられないのならば自分を含めてアーティスト側の力不足として戒めます。


ただ、差し出がましいようだけど一つだけ言わせて頂くならば


それは「個人で選んだ事」であり
誰かに執拗に同意を求めたり、巻き込んだりしないで欲しい。

それは誰かを不必要に不安にさせるし

そうではない人達からは不必要に反感を買います。

それがあなたを不必要に傷付けるかもしれない。

そんな誰も得をしない状況を自ら生み出す必要は無いと思います。


勿論、自分では離れる事を決めておきながら内心寂しさや不安、名残惜しさもあって誰かに同意を求めたくなるのかもしれない。
その気持ちもわからなくはないのだけれどね。


自分の中で何かが終わる時、
それを良いものとして終えるか悪いものとして終えるかもまた、自分次第なのではないでしょうか。


せっかくなら、楽しい日々だったと
人生の一部を彩る事が出来たと振り返って欲しい。

そうしてもらえたなら
僕らアーティストは充分幸せです。


そして勿論
戻りたくなったらいつでも戻れば良い。

自分で選べるでしょ?





元々、今の自分の活動は
高い場所を夢見てひたすらガムシャラに生きて来た後のボーナスステージみたいなもので

大した結果は出せなかったけれど真面目にやってきた自分への、神様からのほんのお情けみたいなもの。

いつまで出来るかなんて肉体的にも精神的にも分からないものだから

ここまで続けられた事自体が奇跡に近いし、それに感謝したい。

活動の規模を狭めてもそれでも支えてくれる人達に改めて感謝したい。



ただね

今まで別に体育会系なコールアンドレスポンスを主体とした音楽性のバンドをして来たわけじゃないにしても


やっぱり僕は人前に晒される事を自ら選んでこの世界に飛び込んだ人間なんだ。

若い頃に身も蓋も無い誹謗中傷を受けても、後ろ指差されても
それでも逃げずに痛みに耐えながらも続けて来たんだ。


恵まれない容姿や体質、且つ老体に鞭を打ちながらでも
細々とでも歌う事は出来るかもしれない。


けれどね、


やっぱり愛おしいんだよ。
ライヴ会場の熱量が。
代え難いあの空気感が。

リアルがさ。


どうせ余生を消費するならさ
ライヴで命を摩耗したい。


理想と外れてゆく世界と時代の中で
どこまで変化に迎合出来るかは正直分からないな。




神のみぞ知る、ですかね?苦笑




政治はさ、タブーだから触れないけどさ。

せめて会食ステーキじゃなくてパンケーキ食べに行ってたら良かったのにね!!


今の無し!!

また来年ー!!!!