例えば最初に
「こんな山があって、これを登ろう!
きっと楽しいし、その先に
多分何かステキな景色が見えるはずなんだ」
ってお誘いがあって
僕はそれが楽しそうだったので
「面白そうですね!僕もお供しますよ!」
それが発端。
でも、その過程で時に
「この道はこの先、足場が悪くなるみたいだから迂回して別ルートにしよう!その方が俺も勿論、メンバーも安全だし、俺たちの後を付いて来てくれてる人達も安全だと思うから」
と判断し、
また時に
「ちょっと道の途中に良い絶景スポットあるから立ち寄って見ていくのはどう?」
と提案し
でも、最初に登ると決めた山は途中で投げ出したり独断で変更したりしない。
それが臨機応変、正しい「柔軟性」であって、リーダーに問われる資質の一つだと思う。
当初の目標とハズレてしまった事に後から取って付けたような理屈で塗り固めて取り繕う事を「柔軟性」とは言わない。
そういう意味でSoanさんは自身が持つこだわり、美学、ポリシーと共に正しい柔軟性を以ってこのプロジェクトを導いてきたと思っています。
その中で自身が不安な時、
選択を迷ったときは
「俺はこう思ったけどどう思う?
意見が聞きたいんだ」
とメンバーの言葉に耳を傾け
その中で僕や芥君
そしてソアプロメンバーの経験や知識から出たアイディアに対して納得すれば、たとえ自分の考えとは違っていたとしても
「いいね!なるほどそれは面白い!それを活かそう!」
メンバーそれぞれへの、そして在籍してきたバンドへのリスペクトを忘れない姿勢が
今日のSoanプロジェクトの形そのものだと思います。
それはSoanさん自身がこれまでのキャリアの中で身に付けた要素でもあるだろうし
或いはこのSoanプロジェクトの活動の中で更に磨かれたのかもしれないけれど
だから
僕にとって、芥君にとって
メンバー全員にとって
そして勿論、Soanさん自身にとっても
自然に成長出来る場所なのさ
つまるところ。
やりごたえみたいなものが常にあって
適度なハードル、適度な緊張感
それがある場所。
僕はね、自分という人間の価値が分からないから自分へのハードルの設け方が分からなくて過大評価も過小評価も出来なくて
いつも目測を見誤ったハードルで苦しんでしまいながらここまで来た。
だから外から誰かが見守ってくれていて
与えられたハードルを一つずつ落ち着いて越えて行ける実感が嬉しくて。
だから
僕らが
自然に成長出来る場所なのさ
つまるところ。
でもね、無理をしない為には
時々足を止めて休んだりして
自分が歩んで来た道を
その足跡を確かめる工程が必要。
安心したら深呼吸して
呼吸が整ったらまた歩く。
誰に急かされるわけでもなく
誰に妨げられるわけでもなく。
それがSoanプロジェクト
僕らなのさ。
だから気長に待っていて。
おじさん達はなかなか呼吸が整わなくなるものだしさ。笑
それとはまた別として
大事なものは放っておくとどんどん無くなっていく。
無情なまでに。
それなら自分が守りたいものは
自分で守るしかないじゃないか。
それを止めてしまったら
どうやって生きてゆくのさ。
「音楽が娯楽」なんてのは僕ら演者の中ではとっくに終わっていたんだ。
もう身体の一部なんだ。
心臓の横にでも付いているんだろうさ。
それならたとえ長い旅路の果てに
身体も心も疲弊していたとしても
安心出来る寝床は用意してからじゃないと
迂闊に寝る事もままならないから
もう少しそういう場所を作らないと
小さな場所だよ、
テント3つ分くらいの小さな部族の集落くらい。
でも朝は小麦で質素なパンを焼いて、
ヤギのミルクを飲むよ
楽しい時は果実酒呑んで
みんなで歌って踊るよ。
夜は太い柱のテントの下で
虫のさざめきを聴きながら
明日のお話をして寝るよ。
(ただ、時々怖いバケモノのお話もするよ。憎しみと怒りにとらわれた憐れで醜いバケモノの話を。そうやって畏怖と戒めを教えるよ。)
小さな場所だよ。
でも来たいならおいで、まだ入れるかもね。
全部嫌になったらおいで。
温かいスープを作って待つよ。
なに、僕もそうやって救われたのさ。
あなたにとって
せかいのどこかに救いがありますように。
そう願っているけど
それは最早自分で探さなきゃ
見つからないのかもね。
休憩。
「こんな山があって、これを登ろう!
きっと楽しいし、その先に
多分何かステキな景色が見えるはずなんだ」
ってお誘いがあって
僕はそれが楽しそうだったので
「面白そうですね!僕もお供しますよ!」
それが発端。
でも、その過程で時に
「この道はこの先、足場が悪くなるみたいだから迂回して別ルートにしよう!その方が俺も勿論、メンバーも安全だし、俺たちの後を付いて来てくれてる人達も安全だと思うから」
と判断し、
また時に
「ちょっと道の途中に良い絶景スポットあるから立ち寄って見ていくのはどう?」
と提案し
でも、最初に登ると決めた山は途中で投げ出したり独断で変更したりしない。
それが臨機応変、正しい「柔軟性」であって、リーダーに問われる資質の一つだと思う。
当初の目標とハズレてしまった事に後から取って付けたような理屈で塗り固めて取り繕う事を「柔軟性」とは言わない。
そういう意味でSoanさんは自身が持つこだわり、美学、ポリシーと共に正しい柔軟性を以ってこのプロジェクトを導いてきたと思っています。
その中で自身が不安な時、
選択を迷ったときは
「俺はこう思ったけどどう思う?
意見が聞きたいんだ」
とメンバーの言葉に耳を傾け
その中で僕や芥君
そしてソアプロメンバーの経験や知識から出たアイディアに対して納得すれば、たとえ自分の考えとは違っていたとしても
「いいね!なるほどそれは面白い!それを活かそう!」
メンバーそれぞれへの、そして在籍してきたバンドへのリスペクトを忘れない姿勢が
今日のSoanプロジェクトの形そのものだと思います。
それはSoanさん自身がこれまでのキャリアの中で身に付けた要素でもあるだろうし
或いはこのSoanプロジェクトの活動の中で更に磨かれたのかもしれないけれど
だから
僕にとって、芥君にとって
メンバー全員にとって
そして勿論、Soanさん自身にとっても
自然に成長出来る場所なのさ
つまるところ。
やりごたえみたいなものが常にあって
適度なハードル、適度な緊張感
それがある場所。
僕はね、自分という人間の価値が分からないから自分へのハードルの設け方が分からなくて過大評価も過小評価も出来なくて
いつも目測を見誤ったハードルで苦しんでしまいながらここまで来た。
だから外から誰かが見守ってくれていて
与えられたハードルを一つずつ落ち着いて越えて行ける実感が嬉しくて。
だから
僕らが
自然に成長出来る場所なのさ
つまるところ。
でもね、無理をしない為には
時々足を止めて休んだりして
自分が歩んで来た道を
その足跡を確かめる工程が必要。
安心したら深呼吸して
呼吸が整ったらまた歩く。
誰に急かされるわけでもなく
誰に妨げられるわけでもなく。
それがSoanプロジェクト
僕らなのさ。
だから気長に待っていて。
おじさん達はなかなか呼吸が整わなくなるものだしさ。笑
それとはまた別として
大事なものは放っておくとどんどん無くなっていく。
無情なまでに。
それなら自分が守りたいものは
自分で守るしかないじゃないか。
それを止めてしまったら
どうやって生きてゆくのさ。
「音楽が娯楽」なんてのは僕ら演者の中ではとっくに終わっていたんだ。
もう身体の一部なんだ。
心臓の横にでも付いているんだろうさ。
それならたとえ長い旅路の果てに
身体も心も疲弊していたとしても
安心出来る寝床は用意してからじゃないと
迂闊に寝る事もままならないから
もう少しそういう場所を作らないと
小さな場所だよ、
テント3つ分くらいの小さな部族の集落くらい。
でも朝は小麦で質素なパンを焼いて、
ヤギのミルクを飲むよ
楽しい時は果実酒呑んで
みんなで歌って踊るよ。
夜は太い柱のテントの下で
虫のさざめきを聴きながら
明日のお話をして寝るよ。
(ただ、時々怖いバケモノのお話もするよ。憎しみと怒りにとらわれた憐れで醜いバケモノの話を。そうやって畏怖と戒めを教えるよ。)
小さな場所だよ。
でも来たいならおいで、まだ入れるかもね。
全部嫌になったらおいで。
温かいスープを作って待つよ。
なに、僕もそうやって救われたのさ。
あなたにとって
せかいのどこかに救いがありますように。
そう願っているけど
それは最早自分で探さなきゃ
見つからないのかもね。
休憩。