方言を巡るショック | 明日へのトレイン-season2-

明日へのトレイン-season2-

旧ブログ引き継げませんでした。新たに開設します。
トレイン(Train)には「電車」という意味の他に「訓練する」という意味もあります。「明日へのトレイン」とは、「明日の自分のために訓練する」という意味が込められています。

最近、よく言われることがあります。そして、今朝も。
「君って訛り(なまり)ないね。」とか、「方言出ないね。」と。
大学の中だけではありません。福岡県出身者しかいない寮の中でも言われるのです。
ここ一週間のうちで3回、一か月では5回以上言われています。いちいち数えていませんが、東京に来たばかりの頃もよく指摘されていたので、この半年の通算ではかなりの回数言われたことでしょう。

僕は生粋の福岡市民であり、博多っ子だと思っています。話すのはもちろん博多弁。
ところが、他人から見ると完全に共通語を話しているのだそうです。
僕自身は東京に来て話し方を変えたつもりはありませんし、変わったはずがありません。

ちょっとだけショックですね。
僕は福岡出身であることを誇りに思っていますし、福岡を愛しています。そして、自分は博多弁を話してそれを体現しているつもりでした。
でも、どうやらそうではなかったようです。

しかし、この半年間指摘され続けて、気づいてしまいました。
僕は方言を使うときにスイッチを入れているのです。
あくまでも、方言を意識的に使っているのです。
地方出身者の多くが共通語を使うときにスイッチを入れるのと同じように、僕はいままで方言を使うときにスイッチを入れてきたです。同郷の人と話すときは、博多弁で話した方がより信頼感が生まれますし、親しくなれます。それを意識したつもりはありませんでしたが、無意識にそれを感じ取っていたんだと思います。あと、他地方の人達同士が集まったときや自分が福岡出身であることを主張しているときも、おそらくスイッチしています。

かつては方言や訛りは都市部の地方出身者が持つコンプレックスとして否定的な見方がされていましたが、最近では否定的ではなくむしろ肯定的に考えられ、「○○弁入門」のような本が100万分単位で売れるようにもなりました。僕も、方言は自分の故郷の誇りを表すとてもいいものだと思っていますし、なんたって僕は多文化(ローカル)主義者です。それだからこそ、自分が大学内だけではなく、福岡県出身者しかいない寮の中でもいわゆる標準語で話していることが何となく気に入りません。

言われてみれば、うちの中では父だけが福岡の某所の方言を使い、ほかの家族は標準語を使っています。日常生活に定着している方言は「なおす(片づける)」ぐらいかもしれません。

ここまで、個人的な自己批判を書いてきたのですが、今回自分の方言について反省したことで、「実は国民の問題として、地方の方言というものが失われているのではないか」という疑問がわいてきました。沖縄県で琉球方言が失われていることはよく紹介されています。方言消滅は沖縄県だけの問題なのか。全国的にはどうなのか。
気になってきました。


「ちょっと調べてみんといかんですね。」