妊娠中の妻はもうすぐ20週目。
15週目→16週目を境に、
つわりのピーク(匂い・唾液)は過ぎたようですが、
気分の悪さ、吐きづわりはまだまだおさまりません。
いまだに一日1回~2回吐く日がほとんどで、
おなかもかなり出てきたのに、
体重は妊娠前と変わらず。
妻もおなかの赤ちゃんも心配ではありますが、
1人目のときも生む直前まで気分の悪さは続いていたので、
今回も仕方がないのかなと思わざるを得ない状況です。
ただ、匂いと唾液づわりがマシになったので、
8月に入ってからは、顔色(表情)もマシになり、
6月、7月よりは随分と外での仕事もこなせるようになっています。
9月からは息子の幼稚園が始まり、
送り迎えやお弁当の負担が増えます。
とくにお弁当は、つわりで気持ち悪い中、
(夕食とは別に)献立を考えるところから始まり、
早起きして作らなければならないのは、大変なことです。
料理をしない(できない)僕は、本当の大変さをわかっていないかもしれませんが、
妻ができないときには自分がしなければならないと思って妻の姿を見ていると、
ご飯やお弁当を作ることは本当に大変な労力で、
まさに『愛情』がなければやってられない(割に合わない)ことだと感じます。
いかに自分が母や妻の愛情を“当たり前”のものとしてきたか、痛感します。
『母になること』、『母であること』は、本当に多くのことを求められ、
とてつもないバイタリティーがなければ乗り越えていけないことだと思います。
まして女性が外でも男性同様に働く時代、
男に求められることは何だろう。
『夫であること』は『妻であること』と対等と考えればいい。
『父になること』は精神的な覚悟は必要だが、身体的には何も要求されない。
むしろ妻と生まれてくる赤ちゃんに『父にならせてもらう』。
じゃあ『父であること』は何が求められるのだろうか。
時代が変わり、父親像も変わり、父や祖父の姿をそのまま参考にはできない。
新しい自分なりの父親像を創り上げていくしかない。
以前は母親の役割とされたことの一端を担いつつも、
やはり父親にしかできない役割もあるはずだ。
父親も子育てするなんて当たり前のことをして「イクメン」とか言ってる場合ではない。
母親の代わりをできることより、
父親にしかできないことをちゃんと『考えて』、『行動に移して』、『伝えていく』。
それを怠らないことが『父であること』に求められることだろう。