久々のブログです(;´∀`)


8月、仕事では夏期講習等、やはり忙しい日々で、

今年はオリンピックなんかもあったりで、

別に自分が出場するわけでもないのに僕はさらに忙しくなるわけです( ´艸`)


で、母からも「最近ブログはどうしたの?」とメールが…Σ(・ε・;)ゴ、ゴメンナサイあせるサボッテマシタ…


と、いうわけで夏も終わるのでブログもまた更新していきますニコニコ


今年の夏は個人的にオリンピック一色でした。

あらためて、スポーツのチカラを感じました。

自分がするわけでもなく、

現地にいるわけでもなく、

感動させるための筋書きがあるわけでもなく、

選手達の練習を見てきたわけでもなく、

知り合いでもない選手達が、

ただ走ったり、投げたり、飛んだりしているのを見ているだけで、


―― 人はこんなにも感動できる。


特に、男子400メートルリレーの朝原宣治選手の表情は非常に印象的でした。




勝ち負けや結果としてのメダルの有無は、とても大きなことだと思います。

勝つことやメダルを取ることに拘って、それを目指して努力する。

だからこそ『勝ち』や『メダル』には大きな意味があるはずです。

たとえ、同じように「よく頑張った」と人から言われても、

自分が目指したものを結果として手にするかしないかには大きな違いがあるはずです。


この点が『スポーツ』の、そして『勝負』の厳しさで、

オリンピック選手達にはそれを受け入れる強さがあります。


だからこそ、勝っても負けても涙を流すのでしょう。


そしてその厳しさを受け入れてるからこそ、『勝ち負けを超えた感動』を僕達に与えてくれる。


『厳しさを受け入れる』姿に僕達は感動する。


スポーツ選手ではない僕達も、望む望まないに関わらず、

人生の中で幾度となく『勝負』の場に身を置く場面がある。

(人によっては常に、あるいは毎日が『勝負』だという人もいるかもしれない。)


そんな時、まずはその厳しさを知る必要がある。

そしてその厳しさを受け入れるために自分を鍛えなければならない。

妥協なく自己鍛錬できた者だけが、本当の意味で厳しさを受け入れられる。

そして、厳しさを受け入れたものだけが、結果に関わらず得られるものがある。


少なくともその厳しさを受け入れない、あるいは受け入れようともしない者が、

他人の出す結果を傍(はた)から見てとやかくいうことはできないし、

もしも、とやかく言ったとしても、その発言(言葉)には重みがなく、

言葉だけでなくその人格まで薄っぺらなものと思われてしまうことになるだろう。


僕は、オリンピック選手にはなれなくても、

できれば『厳しさを知る者』でありたいと思うし、

少なくとも、『厳しさを受け入れようとする者』でありたい。