この時期、学習塾は比較的余裕がある時期です。
とは言え、決して暇なわけではありません。
今のうちにしておかなければならないことがたくさんあります。
夏休み~秋になってくると、気持ちに余裕なくなり、『受験』や『授業』以外のことをほとんど考えられなくなってしまいます(;´∀`)コマッタモンダ
ただ、余裕があるとは言っても、今でも授業(特に受験生の授業)では焦ります。
毎年この時期はまだ学生(受験生)たちがあまりに悠長に構えているからです(;´д`)ゞ ダイジョウブナノカ??
≪自覚≫
半年後には受験が始まるのに、明らかにまだまだ先だと思ってる学生が多い。
で、夏過ぎて、秋になり、やっと焦り始め…でもそれでは間に合わない。
テレビを見たり、ゲームをしたり、遊びに行くことに対して、
『こんなことしてる場合じゃない!!』
といつ思えるか、その時期が結果を大きく左右する。
本当は人から言われてではなく、自分からそう思えないと意味がない。
そうでないと、いつまでたっても『自分の意思で』何も決められない。
≪自己責任≫
クラブ活動や体調や学校行事や家庭環境やその他もろもろのせいにしても、
結局誰も代わりに責任を取ってくれはしない。
『受験』という同じ土俵で勝負する限り、(受験できる環境に感謝しながら)
皆同じような犠牲を払って勉強時間を捻出し、勉強できる環境に身を置く努力をしている。
過程に言い訳できても、結果には言い訳できない。
≪自己鍛錬≫
大学受験までの勉強はそれが英語であれ国語であれ数学であれ社会や理科であれ、ほとんどは『覚えているかどうか』が問われる問題である。
数学も『この形式の問題はこうやって解く!』って知ってるかどうか、問題を見てそのことに気付くかどうかが問われている。
つまり、『丸暗記』ではないにせよ、単純に知識量(例えて言えば、引き出しの量)が問われているのである。
知識を身に付けるという行為は、一般的には誰でもができる行為であると考えられる。
得意不得意の差はあっても、繰り返し時間をかけることで知識は身に付いていく。
そう、『繰り返し時間をかけること』で皆ができることだからこそ、ある意味で受験は公平である。
この孤独で忍耐の要る作業をこなせた者が最後に勝つ。
自覚、自己責任、自己鍛錬。
これらの言葉は厳しさを呼び起こす響きを持つが、
やればやっただけの成果が出る喜びは、一度味わいだすと意外と癖になる。|  ̄ー ̄)ソウナレバコッチノモノダゼ☆☆☆