論文指導のための題材をネット上で探していたときに、

産経新聞のネット犯罪についてのページに行き当たった。

そこに掲載されている『ネット犯罪』や『ネットいじめ』の実情を読んて、憤りにも似た嫌悪感を覚えた。



塾生たちの話の中でも、『掲示板の書き込み』や『ブログ』や『ホームページ』は日常会話のネタになっている。


僕自身、こうしてブログを書いているので、ブログを書くことに何の抵抗もないが、ブログやホームページを通じた犯罪を見ていると、『ネット』自体が悪影響を持つメディアであるかのような気さえもしてくる。


何かが掲載されると、それはTVよりも新聞よりも早く広く伝わる。

TVや新聞では表現に最新の注意が払われているが、ネット上ではそうではない。


そういった言葉や画像は、時に人を深く傷付け得るものである。



掲示板等の文字だけのやり取りでは、時として対面してのコミュケーション、あるいは電話でのコミュニケーションよりも、異常なほどに過熱する傾向がある。

そして、直接言われるよりも人を傷付けることがある。

相手が誰かわからないが故に、人を疑心暗鬼にさせる。


これだけ広まっているなら、塾生たちの中にも、学校関係のサイトで嫌な思いをしているものもいるかもしれない。

身近にはないと思うのは楽観的過ぎる。

少なくとも、ネット上に他人の、友達の、クラスメートの、誹謗・中傷を書き込んだり、それに便乗したりすることだけはしないで欲しい。

インターネットという画期的なコミュニケーション手段を、人を傷付けるために利用してはならない。



人には話しにくいことをどうしても誰かに伝えたい時や、

対面コミュニケーションが苦手な人が自分を表現できる場として、

インターネットを利用することは決して悪いことではない。

ただし、それが誰かを傷付け得るものであったり、

犯罪の原因や誘因となり得るものであれば、

この上ない『悪』である。

『誰かわからない』ことを利用した、最も悪質で、最も陰湿で、最も姑息な行為である。


こうした犯罪の誘因や誹謗・中傷に、『表現の自由』などという逃げ道(言い訳)を提供するために法律があるのではない。

インターネット上の膨大なグレーゾーンに一刻も早くはっきりとしたボーダーラインを引く必要がある。

制度がなければ、そこは事実上無法地帯である。

大人よりも子供たちの方がパソコンに詳しくなっていく傾向にある今、

取り返しがつかないことになる前に、社会がきちんとした制度を整えなければならない。


自由と無法は違う。

『人から見えない場所』で、人はいつも倫理、道徳、公共の福祉、といった概念に沿って行動できるほど強くはない。

だからこそ、『ルール』が必要である。

ルール(法律・規則)が人を束縛すると同時に、人を、社会を、『守る』のである。