今日で皐月が終わります。
もう暦の上ではとっくに夏。梅雨入り間近。
仕事、プライベートにおいて、7月以降の夏休みまでにしておかなくてはならないことが…( >Д<;)オオイ&オモイ…
でもやるべきことがあるのは、悪いことじゃない。
それだけに追い立てられてるだけではつまらないが、目の前に積まれた課題をいかに効率的に、かつ丁寧にこなしていけるか。
これは生きていく上で重要な処世術である。
言い換えると、『要領の良さ』。
『要領が良い』というと、あまり良い意味で使われないこともあるが、『要領を得る』ことは重要である。
勉強においても、同様で、『効率的かつ丁寧に』課題をこなしていけば、結果はついてくる。
授業の中でまずはその方法を伝えていきたい。
一方、課題が与えられないときは、自分で課題を創り出し、それを自分に課さねばならない。
自分はどの程度の課題ならこなせるのか、それを知らなければ、常に6分程度のチカラでこなせるだけの課題しか自分に課せなくなってしまう。
これが生きていく上で、非常に不利に働くことは明らかであろう。
高校までは、勉強、クラブ活動、習い事と、課題は与えられ続けることが多い。
大学生、社会人になると課題を自分で見つけ出し、自分に課す必要が出てくる。
大学生になった卒業生たちも、そのあたりに戸惑いを感じているように見える。
自由で楽しいが、コレさえしておけばいいというものはない。
「自分が自分に課している課題は正しいのだろうか。」
「自分はもっとできるんじゃないか。」
「とは言え、自分に課題を課し過ぎたらせっかくの自由を失うのではないか。」
高校生までに、自分がどれだけの課題をこなせるのかを知っている者といない者。
高校生までに、自分で課題を見つけてやってきた者とそうでない者。
この差は歴然と現れてくる。
高校までに、できれば自分の課題を自分で見つけ、それをこなしていくことまで身に付けてもらいたい。
楽なほうに流されることはいつでもできる。
ただし、何故かそこに自由はない。
目の前に積まれた、あるいは自分で積んだ課題の中にこそ自由が埋もれている。
矛盾してるようだが、僕にとってはここ数年でようやく辿り着いた真実である。
今の僕には、
「自分に課題を課し過ぎたらせっかくの自由を失うのではないか。」
のほうが、余程矛盾しているように見える。