
熊本の地震でデマが拡散した。
大阪の地震でも再びデマが拡散した。
西日本豪雨でさらに悪質なデマが拡散した。
デマがどんなに恐ろしい結果を招くか。
デマをなぜそんなに恐れるのか?
私たち日本人はかつて恐ろしい悲劇を経験をしているのだ。
1923年の関東大震災である。
だが残念なことにこの震災体験は私たちの中から風化しかけている。
メディアはデマをネットのせいにしている。
こういうことを言う人たちは関東大震災を知らないのだろうか?
デマが私たち日本人を大量殺人集団に豹変させた1923年にネットはなかった!
デマをネットのせいにすることは本質を見誤っている。間違った分析は過ちを導く危険がある。
関東大震災の記憶はもはや風化してしまったのだろか?
東日本大震災の記憶が次第に風化してゆくことが危惧されている。
これから、十年、百年経ってもあの体験と教訓は風化せずに引き継がれてゆくだろうか?
それは百年の子孫たちにかかっている。
しかしいま私たちは、
関東大震災から100年後の子孫にまもなくなるのだ。
私たちにできることは、まもなく百年を迎えようとする関東大震災を風化させないことである。
関東大震災は今年95年目を迎える。
吉村昭著「関東大震災」(文春文庫)を読もう。
私たち日本人は、地震が起きても冷静さを保ち秩序を守れる民族だとメディアは喧伝する。
これも半分本当だが、半分ウソである。
半分のウソ部分は、まさに「関東大震災」を読めばわかる。私たち日本人がいかに残虐で冷酷非情な殺人者集団であるかがわかるだろう。
だが私たちはこの悲劇を教訓としたのだ。
二度と同じ過ちを繰り返すまいと誓い、気を付けてきたのだ。だから以後同じことは起きていない。
これが残り半分の本当部分だ。
だから、この悲劇を誰もが忘れてしまったとき、デマを止める人はいなくなり、再び同じ悲劇をくりかえすことになるだろう。
日本人の災害対応に対する高い能力が世界から評価さ賞賛されたとしても、
それは過去の反省と努力なしに成し遂げられたことではない。
日本人が生まれつき優れた民族であるわけではない。
私たちは過ちを反省し、教訓を得て、努力している。
評価されているのは努力している間だけだ。反省と努力を忘れたときにはいつでもすぐに野蛮な民族に転落するだろう。
だから、過去の悲劇を風化させないこと
それがこの国にすむすべての人々に求められるのだ。
吉村昭著「関東大震災」(文春文庫)を読もう。