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なぜ、
貯蓄するのか?

それは
言ってはならない。

経済がうまいっていないという。
その理由は市場にお金が出回らないからだといろいろな偉そうな人が言っている。

消費が伸びない!
えらい人は
そう嘆いている。

だが消費が伸びないことが問題だと思うのなら、そう主張する者が率先してまず消費してみせればよい。
もしもそれができないなら、
その理由が消費が伸びない本当の理由だ。
しかし本当のことは言ってはならない。

消費を増やせと主張する専門家は、
自分自身は消費を増やしているのだろうか?
それとも自分だけは消費を惜しんでせっせと貯蓄しているだろうか?

せっかくお金が増えても、みな貯蓄に回してしまうから市場にお金が出回らない。みな買い控えするからデフレ脱却が出来ないのだそうだ。

じゃあなぜ
貯蓄にまわしてしまうのか?
それは貯蓄している本人に聞けばいい。

私はその理由を知っている。
なぜなら私自身が買い控えをし貯蓄しているからだ。
しかしその本当の理由は言ってはならない。
だから言わない。
みんな言わないから私も言わない。

言わなくてもよいのだ。専門家と称する人たちが適当にもっともらしい口実をこしらえてくれるから、
その口実を自分の本音ということにしておけばよい。
そして専門家によれば、それは心の問題(消費者心理)だということになっている。

んなワケねえだろ。
そりゃ口実だ。
んなこたぁ誰だってわかる。
本当のことは
言ってはいけないのだ。
本当の話は言論封殺されて表には出てこない。

言われては困る話。
しかし
本当のことは
皆知っている。
なぜなら、
みなが貯蓄しているからだ。
企業はもちろん、
お金持ちはもちろん、
そして
貧乏人までもが貯蓄する。
いや貧乏人だからこそ貯蓄する。
しかし金持ちは、せっせと貯蓄したからこそ金持ちなのだ。
さらに企業は内部留保
そして
溜まった金は使わない。
金額的には金持ちの貯蓄の方が影響力が大きいだろう。
しかし貧乏人さえも貯蓄する。
極力貯蓄に回す。
その理由は、
そうしている本人たちが知っている。
なぜ貯蓄するのか?
貯蓄している本人たちが知っている。


つまりみんな知っている。

しかし、
言ってはならないことというのは大抵はそういう類のことである。
王様が裸だってことだって、本当はみなわかっていただろう。
みなわかっていたから黙っていたのだ。騙されているふりをしていたのだ。
それを言ってしまったらおしまいだ。
一気に革命が起きてしまう。
しかし、誰かが
いつか誰かが
空気読まない誰かが
ついに言ってしまうのだ。
「王様は裸だ」
と。
そして雪崩をうったように、人々は我先にと
「そうだ裸だ」
と言い始める。
それまで王様を崇めて敬っているふりしていた者ほど、我先にと寝返り、競い合って少しでも過激な王様批判を始めるのだ。

そうやって
革命は
ある日突然に始まり、
あっという間に世の中はひっくり返る。

その日がくるまでは
みな
黙っている。
黙って機会を伺っている。

そもそも
消費が増えることが大切だというのなら、そう思う人たちが率先して消費を増やせばいい。
たくさんお金を使った者は日本経済の救世主だ。たくさんお金を使うことは愛国的行為だ。それで日本経済は元気になるのだから。
国を想う者は、身銭を切って次々と買い物をすべし。
それは愛国的行為だ。
みなもっとお金を使おう。お金をばらまこう。
贅沢三昧し、散財しよう。
自己保身から貯蓄に走るのは非国民である。
みな愛国的にお金を浪費しよう!
勿体ないなんて言葉は日本の伝統から抹殺しよう。
愛国心のためには日本らしさなんて切り捨てよう。

最近の日本人はみな賢くなったから
もう誰も騙されない。

そんなことしたら
どんな冷酷で残酷で無慈悲な結果が待っているかみな知っている。
そんなことをすれば、
単に生存が断たれるだけでは済まされない。

利口な人々の嘲笑と軽蔑の的として辱めを受け、子々孫々まで恥曝しとして語り継がれることで永遠に名誉を奪われるだろう。

社会は、安心してお金を使えるシステムになっていない。
自分の身は自分で守る。そういう約束の社会では安心安全自己保身のための貯蓄がいくらでも必要だ。そしてそれは正当で当然の行為、自己責任として義務でさえある。
では何を変えればよいか。

これ以上は
言ってはならない。
貯蓄が必要な理由を深く掘り下げてゆけば皆だいたい似たような結論に到達するだろう。
社会がその果たすべき機能を怠るとき、それを自己責任という言葉で個人の役割として責任転嫁してくる。

本当のことは言ってはならない。
それは悪いことだというタテマエになっているから、これ以上は言ってはならない。
みな言わないことにしている。

本当のことは言ってはならないから、
だから
かわりにふざけた提案をしたい。

自己資金を浪費し使い切って破産した人には政府が勲章を授与したらいい。
日本経済を救おうと、身銭を切って消費行動し続けた末に借金漬けになってしまったり、住む家さえ失ってしまった者がいたら、それは日本経済を救うための尊い自己犠牲である。
浪費家は、自らの生存と引き換えに日本経済を救おうとしている忠義の国士なのだ。
だから、政府はそういう者にこそ勲章を授与すべきである。
もちろんこれだけでは不完全だ。
たとえ勲章を貰えても、その後の生活が保証されないのであれば、誰も勲章のためにだけの消費などしないだろう。
だったら、その後の生活も保証すればよい。
ただし、これを単純にやってしまうと、働かずに贅沢だけしようという浪費家志願者が大量出現し、やはり日本経済は破綻してしまうだろう。

しかし、
ここから先は細かい工夫次第だ。

審査制度を作って対象者を限定するとか、
いくらでもやりようはある。
審査の基準も、
単なる浪費ではなく、
経済の再生に繋がるような消費であるかどうかとか、新しい産業を育成するための投資をしての失敗だったとか。よき使い方をした末の破産だったという観点で評価するようにすればよい。
そんなことをしても大量にお金を使えるのはお金持ちなのだから、結局はお金持ちが表彰されるだけだといわれるかもしれない。
だったら
単に金額で評価するのではなく、元の自己資産で割り算した値を評価基準にすればよい。
そういう細かい部分で経済再生に繋がるような方向性にもってゆくことは、具体的な工夫の問題だろう。

もちろん今、
ふざけた、ばかげた、くだらない提案をしている。

しかし
もう少しましな指摘をするなら、
人間はそんなに怠け者ではない。
正確に言えば、
いろいろな人達が集まって人間社会が形成されている。
「みなが同じ給料なら労働意欲が湧かない」
という人間心理は多数派かもしれないが、
すべての人間の心理ではない。
元来天性の働き者や、働く事が生き甲斐の者、労働が好きな者、使命感に溢れた者、達成感が好きな者・・・
いろいろだ。
怠け者が多数だからといって、
すべての人間がアメとムチだけで動く存在であると仮定して社会システムを設計したら、
そりゃあ、そんな社会は破綻するだろう。
使命感で働く者も少しはいないと、国家など成り立たない。

もちろん、
すべての人間が、使命感と理念だけで働くと仮定して社会システムを設計したら、もちろんそれも破綻するだろう。

要するに、
どちらも極論だ。

ただ
一方の極論に突き進みすぎた社会システムは破壊されて再構築されなければならない。

これは一般論だから
言ってもよかろう。