メディアによれば
東大生5人がいやらしいことをして逮捕されたそうだ。
どんな母親がそんな犯罪者を育てたのだろか?
「あなたの母親を見てみたい。」
そう言われたことがある。
私も彼らの母親をみてみたい。
ただしメディアは
父親のことはいち早く取材している。
メディアは去年
息子三人を東大理Ⅲに合格させた母親を話題にした。
しかし
この子たちに父親は存在しないのだろか?
子育ての失敗は父の責任。
子育ての成功は母の手柄。
メディアが避けて報道しないことが気になる。
東大理Ⅲに合格した三人はどんな父親の背中をみて勉学に励んだのだろか。
犯罪者たちはどんな母親をみて自らの女性観を育んだのだろか?
もちろん
そう単純な問題でもなかろう。
東大理Ⅲ合格の父親は敢えて取材を避けたい事情があるのかもしれない。
あるいは
手柄はすべて妻のものという謙虚な愛妻家なのかもしれない。
もちろん家庭のことは一切顧みない自分勝手な父親で、本当に女手ひとつで息子三人を東大に入れたのかもしれない。
だがそうだとしてもそれもまた彼らの成長の真実である。
たとえ仕事一筋子育て無関心の父親であったとしても、そんな父親の背中をみてこどもたちは育ったわけだ。
そんな父親であったことが良かったのだろか。
報道されないことは私たちにはわからない。
報道されない空白部分は勝手な妄想で埋められる。
私は勝手にこの家庭に母子家庭イメージを持っていた。もちろん勘違いだ。
不自然に父親の報道がなされないと母親と息子たちだけの食卓イメージが浮かび、次第に母子家庭と勘違いした認識が頭の中にできあがっていくのだ。
父親の存在を報道しないことが事実と異なるイメージを心の中に生じさせる。
何かを報道しないこと
これも偏向報道なのだと思い知らされる。
メディアの偏向情報だけをもとに考えれば、以下の結論に導かれてしまう。すなわち
「父親は家庭のことにいっさい関わらす、すべてを妻に任せるべき。そういう家庭が息子三人を東大に合格させた。」
メディアの偏向情報をもとに考えればそうなってしまう。
報道されない事実も存在する。
パズルの空白は好き勝手な妄想で埋められる。
母子家庭という勘違いはましな方だ。
なぜなら勝手な父親像を妄想せずに済むからだ。
本当のところ、どんな父親だったのだろか?
犯罪東大生たちはどうだろか。
こちらもいろいろの事情からすべてが報道されるわけではあるまい。
そもそも被害者は女性である。
男性が加害者
女性が被害者
という図式からは
同じ女性である母親を加害者側にすることが心情的に憚られるとしても無理はない。
しかしそれだと
男が悪なのか?
それとも
暴力が悪なのか?
が分からなくなってくる。
男は存在自体が悪なのか。
そもそも彼は
女を何だと思っているのだろか?
こういう犯罪が起こるとつくづくそう思う。
女のすべてに怨念でもあるのだろか?
だが人生で最初に接する女は母親である。
女なんて東大に入ってしまえばいくらでも寄ってくる。
男児にそう教えるのは
母親だろか?
父親だろか?
女は弱い存在だから守られなければならない。
エリートの父親が学歴コンプレックスたちの怨念の攻撃対象として囮になることで母親は護られる。
しかし女が弱いというのも慈愛があるというのも偏見だ。単に体格的に差のある男の前ではそう見えるだけだろう。女は自分よりも弱い者には容赦しない。
猫や虫や子供。
女は虫を殺し、虫を殺さない男を臆病者と蔑んで馬鹿にする。
もちろん女に対しては「卑怯」「臆病」といった批判はしてはならない。社会通念上、女は卑怯であっても臆病であってもよいことになっている。。
猫や虫ならそれでもまだいい。深刻なのは子供だろう。男といえども子供のうちは大人の女性にかなわない。大人の男に対する怨念の捌け口にされてもなんの抵抗もできないししない。
そして子供は声をあげない。
大人の世界でも女から男への暴力やセクハラはしばしば話題になる。しかし大人はいいのだ。大人の男はその程度のことはたいてい我慢できる。
子供はそうもゆくまい。なにをされているのかさえ理解できないまま虐待の餌食になる。
そんな男の子はどんな大人になるだろか。
そもそもなぜ
親
なのか?
彼をそんな人間に育て上げたのが、
父親か母親かの二択とは限らない。
学校教育かもしれないし恩師かもしれないし、悪友たちの誰かかもしれない。兄弟かもしれないし、あるいは逆にそういった人間関係の欠落かもしれない。
そしてメディアの間違った情報かもしれない。
ならば彼らは無責任メディアの被害者か。
しかし
そんなメディアの無責任情報に騙される方が悪いともいえる。
愚かさも度が過ぎると犯罪になる。
東大生だからといって何か特別なわけではない。特別視するのはおかしい。誰かがそんな記事を書いていた。
いや
結論を出すのはまだ早い。
偏差値いくつから慶応大学に受かったという類いの話もあった。
この場合は
父親でも母親でもなく
本人
だ。
ご飯が旨いのは
去年よく晴れていたからか?
気温が高かったから?
充分な雨が降ったからか?
土地が肥えていたからか?
栽培した農家が優秀だったからか?
日本政府の農業政策がよいからか?
TPPに農家が危機感をもったからか?
母ちゃんの炊き方が上手いからか?
私の健康状態が良好だからか?
単にいま腹ペコだからか?
すべてだよ。
すべてだと子供の時に教わった。
禅寺で。
いや、
原因は一つに絞らなければならないのだ。
そう。
責任はひとりに集中して押しつけたい。
そうすることで他のすべての人類が救われる。
みなそう考えている。
そして今までみなそうしてきた。
これからもずっとそうしたい。
統計的に無意味なほど僅かな事例から馬鹿げた結論を出してみたい。
息子が東大理Ⅲに合格した場合は母の手柄である。本人の努力ではない。
息子が性犯罪を犯した場合は父の責任である。本人の意思ではない。
娘が慶応に受かった場合は本人の努力である。親の教育は関係ない。
もちろん誰も信じまい。
私も信じない。
東大生5人がいやらしいことをして逮捕されたそうだ。
どんな母親がそんな犯罪者を育てたのだろか?
「あなたの母親を見てみたい。」
そう言われたことがある。
私も彼らの母親をみてみたい。
ただしメディアは
父親のことはいち早く取材している。
メディアは去年
息子三人を東大理Ⅲに合格させた母親を話題にした。
しかし
この子たちに父親は存在しないのだろか?
子育ての失敗は父の責任。
子育ての成功は母の手柄。
メディアが避けて報道しないことが気になる。
東大理Ⅲに合格した三人はどんな父親の背中をみて勉学に励んだのだろか。
犯罪者たちはどんな母親をみて自らの女性観を育んだのだろか?
もちろん
そう単純な問題でもなかろう。
東大理Ⅲ合格の父親は敢えて取材を避けたい事情があるのかもしれない。
あるいは
手柄はすべて妻のものという謙虚な愛妻家なのかもしれない。
もちろん家庭のことは一切顧みない自分勝手な父親で、本当に女手ひとつで息子三人を東大に入れたのかもしれない。
だがそうだとしてもそれもまた彼らの成長の真実である。
たとえ仕事一筋子育て無関心の父親であったとしても、そんな父親の背中をみてこどもたちは育ったわけだ。
そんな父親であったことが良かったのだろか。
報道されないことは私たちにはわからない。
報道されない空白部分は勝手な妄想で埋められる。
私は勝手にこの家庭に母子家庭イメージを持っていた。もちろん勘違いだ。
不自然に父親の報道がなされないと母親と息子たちだけの食卓イメージが浮かび、次第に母子家庭と勘違いした認識が頭の中にできあがっていくのだ。
父親の存在を報道しないことが事実と異なるイメージを心の中に生じさせる。
何かを報道しないこと
これも偏向報道なのだと思い知らされる。
メディアの偏向情報だけをもとに考えれば、以下の結論に導かれてしまう。すなわち
「父親は家庭のことにいっさい関わらす、すべてを妻に任せるべき。そういう家庭が息子三人を東大に合格させた。」
メディアの偏向情報をもとに考えればそうなってしまう。
報道されない事実も存在する。
パズルの空白は好き勝手な妄想で埋められる。
母子家庭という勘違いはましな方だ。
なぜなら勝手な父親像を妄想せずに済むからだ。
本当のところ、どんな父親だったのだろか?
犯罪東大生たちはどうだろか。
こちらもいろいろの事情からすべてが報道されるわけではあるまい。
そもそも被害者は女性である。
男性が加害者
女性が被害者
という図式からは
同じ女性である母親を加害者側にすることが心情的に憚られるとしても無理はない。
しかしそれだと
男が悪なのか?
それとも
暴力が悪なのか?
が分からなくなってくる。
男は存在自体が悪なのか。
そもそも彼は
女を何だと思っているのだろか?
こういう犯罪が起こるとつくづくそう思う。
女のすべてに怨念でもあるのだろか?
だが人生で最初に接する女は母親である。
女なんて東大に入ってしまえばいくらでも寄ってくる。
男児にそう教えるのは
母親だろか?
父親だろか?
女は弱い存在だから守られなければならない。
エリートの父親が学歴コンプレックスたちの怨念の攻撃対象として囮になることで母親は護られる。
しかし女が弱いというのも慈愛があるというのも偏見だ。単に体格的に差のある男の前ではそう見えるだけだろう。女は自分よりも弱い者には容赦しない。
猫や虫や子供。
女は虫を殺し、虫を殺さない男を臆病者と蔑んで馬鹿にする。
もちろん女に対しては「卑怯」「臆病」といった批判はしてはならない。社会通念上、女は卑怯であっても臆病であってもよいことになっている。。
猫や虫ならそれでもまだいい。深刻なのは子供だろう。男といえども子供のうちは大人の女性にかなわない。大人の男に対する怨念の捌け口にされてもなんの抵抗もできないししない。
そして子供は声をあげない。
大人の世界でも女から男への暴力やセクハラはしばしば話題になる。しかし大人はいいのだ。大人の男はその程度のことはたいてい我慢できる。
子供はそうもゆくまい。なにをされているのかさえ理解できないまま虐待の餌食になる。
そんな男の子はどんな大人になるだろか。
そもそもなぜ
親
なのか?
彼をそんな人間に育て上げたのが、
父親か母親かの二択とは限らない。
学校教育かもしれないし恩師かもしれないし、悪友たちの誰かかもしれない。兄弟かもしれないし、あるいは逆にそういった人間関係の欠落かもしれない。
そしてメディアの間違った情報かもしれない。
ならば彼らは無責任メディアの被害者か。
しかし
そんなメディアの無責任情報に騙される方が悪いともいえる。
愚かさも度が過ぎると犯罪になる。
東大生だからといって何か特別なわけではない。特別視するのはおかしい。誰かがそんな記事を書いていた。
いや
結論を出すのはまだ早い。
偏差値いくつから慶応大学に受かったという類いの話もあった。
この場合は
父親でも母親でもなく
本人
だ。
ご飯が旨いのは
去年よく晴れていたからか?
気温が高かったから?
充分な雨が降ったからか?
土地が肥えていたからか?
栽培した農家が優秀だったからか?
日本政府の農業政策がよいからか?
TPPに農家が危機感をもったからか?
母ちゃんの炊き方が上手いからか?
私の健康状態が良好だからか?
単にいま腹ペコだからか?
すべてだよ。
すべてだと子供の時に教わった。
禅寺で。
いや、
原因は一つに絞らなければならないのだ。
そう。
責任はひとりに集中して押しつけたい。
そうすることで他のすべての人類が救われる。
みなそう考えている。
そして今までみなそうしてきた。
これからもずっとそうしたい。
統計的に無意味なほど僅かな事例から馬鹿げた結論を出してみたい。
息子が東大理Ⅲに合格した場合は母の手柄である。本人の努力ではない。
息子が性犯罪を犯した場合は父の責任である。本人の意思ではない。
娘が慶応に受かった場合は本人の努力である。親の教育は関係ない。
もちろん誰も信じまい。
私も信じない。