
《コンピューターに出来なさそうなこと-その8:
組織の論理と個人の論理》
ただカネが欲しいだけの欲ボケテロリストが、カネとれなかった負け惜しみで恥かかせたかったとか何とか言い出した。
イマイチ的外れな言い訳だ。
誰か恥かいたか?
もちろんこの記事はコンピューターの話である。
後藤さんの功績が報道されて以来、ここんところの日本人の気持ちは
I am Kenji.
だ。
I am Abe.
ではない。
それ分かって言ってんだろか?
分かってないだろね。
今や彼は我々日本人の誇りだ。
日本人は何も恥ずかしくない。
強いていえば、テロリストの挑発にまんまと乗せられてカッカしたところを見せていた日本の総理が恥ずかしかった。
もっと悠然と、堂々と構えていてほしかったな。
一般の日本人はみなシカトしていたのに。
しかしこれは
総理が勝手に恥ずかしい振る舞いをしていただけであってテロリストに恥をかかされたわけではない。
そこは勘違いするな。
いや総理の本音は、
目指している政治目的が実現しそうなチャンスにワクワクして興奮していただけかもね。
欲ボケテロリストはむしろ軍拡路線を目指す日本の現政権にうまく利用されただけのように見えなくもない。
まさか裏で共謀してたのではあるまいな。
阿吽の呼吸だったぞ。
バグダディと安倍が戦争になっても、実際に殺し合うのは兵士と一般市民だ。2人とも安全な部屋で戦争ゲームを楽しむ。いいご身分だな。
そもそも奴は
恥って言葉の意味わかってるんだろか?
出来の悪い翻訳ソフトか電子辞書でも使ったかな?
日本政府に恥をかかせたかったそうな。
ばかだなぁ。
単なる機関にすぎない政府組織に恥も誇りもないだろ。
恥をかくのは個人なのに。
少なくとも今のところ日本は独裁国家ではない。政府は組織として動いているのであって安倍総理の個人感情の下にあるわけではない。彼は公務としてその任に就いているだけだ。安倍個人を名指しで標的にしても意味がないのだが、奴は日本を自身が目指すのと同じような独裁国家にしたいらしい。しきりに安倍個人の感情を挑発し日本国民が彼の私有物であるかのごとく暗示して独裁感情を煽り立てた。遠隔操作による洗脳のつもりか。洗脳されかかった総理も情けないが、そもそも奴本人が独裁国家以外を知らないというだけかもしれない。
そもそも奴には
恥を感じるだけの知能があるのか?
自らを獣に喩える声明を、自ら発信していたのだから、こう言っても文句あるまい。
奴のようなケダモノを我々日本人は
「恥知らず」
と呼ぶのだ。
恥を知らない獣が恥を語ったところで誰が本気にするか?
いや
自分が恥かいて初めてその意味がわかり、さっそく覚えたての言葉を使ってみたかっただけかもしれない。
なら
ひとつ大人になったね。坊ちゃん。
いや
自分が恥知らずだということに気付きつつある焦りを、他人へ投影してごまかしたかったのかもしれないね。
自らを獣にたとえてしまったことに今頃気付いて恥ずかしくなったのか?
すべては奴の個人的内面の問題だ。
煩悩の奴隷よ!
日本は彼らの敵対勢力に資金援助した。そう思うなら彼らも日本に敵対する勢力に資金援助するなり、してもらうなりすればよい。日本の自衛隊は1人も殺していないのだから彼らの行動は「目には目を歯に歯を」の原則に反している。これで奴が何でも自分の都合良いようにしか考えない自己中人間だということははっきりした。
コンピューターならもっと公平にコーランを解釈できるのではないだろか?少なくとも2045年なら。
それでも奴が恥を知っていると言うなら、このカルト教団は、オウムよりもむしろ人民寺院のような結末を迎えるかもしれない。世界はこれを危惧すべきではないか。なにも薬物による集団自殺とは限らない。最期の一人になるまで自爆テロ要員として尊師と心中させられるというのも似たようなものだ。
結局彼らは何が言いたいのか?
あそか。
負け犬の遠吠えだったか。
もちろん
この記事のテーマはコンピューターである。
まるでコンピューターとは関係のない話のようだが、
2045年に人工知能が人間の知能を上回る
というなら、
人間の抱えるどんな課題もコンピューターが処理できる問題としてよいはずだ。
つまり
こういう事象がコンピューターの処理する仕事になり得るということ
こそが2045年問題なのだと考えるべきではなかろうか?
イスラム国は正しいかとコンピューターに問うてみる。その答えがどんなものであろうと人間はコンピューターに従う。
それが2045年問題だ。
たとえば、
組織の論理と個人の論理
の関係について
人工知能はどう考えるだろか?
個人の利害と組織の利害。いずれを優先するか、その優先順位を予め決めておかなければ、人工知能のプログラミングはできないのではないか。
しかしそれを人間が決めているうちは、人工知能が人間の知能を上回っているとは言えまい。
人間が決めなくても人工知能が自分で考えて結論を出せなければ、人間の知能を超えたとは言えない。
仮説1
個人の論理が組織の論理に優先される。
仮説2
組織の論理が個人の論理に優先される。
仮説3
組織の論理と個人の論理は互いに葛藤しあう平衡関係にあり、均衡点の移動によってバランスが調整されるシステムを形成している。
仮説4
組織の論理と個人の論理とは互いに利用し合う関係になることで、矛盾なく融合してひとつのシステムを形成する。
ヨルダン政府は人質殺害への報復措置として二人の囚人を処刑した。
ヨルダン政府の判断を批判するつもりはないが、なぜかすっきりしない。それは処刑が残酷だということではなく、それが報復になるのかという意味においてである。
つまり、
そんなことをしてもちっとも
「ザマミロ」
って思えないのだ。
新たな命を奪うことで失われた命が還るわけでもない。
そもそもこの報復は釣り合うのか?
リシャウィ死刑囚は自爆テロの未遂犯ということである。だが自爆であるから元々死ぬはずだったことになる。つまりテロ組織側からしても捨て駒である。敵がはじめから見捨てるつもりだった者を殺してなんで報復になるのか。
一人殺されたから一人殺す。その一人の中身は問わない。
この単純なつじつま合わせが組織の論理なのだろか。
彼女は自爆テロに自ら志願した。それは彼女の
自己責任
である。
日本では「自己責任」という言葉は組織の責任逃れに使われるのが一般的だが、自己責任は本当は個人の問題なのではないだろか?
その自己責任で死のうとした者をテロ組織は組織の論理で救おうとした。テロ組織は彼女に
「自害してほしい」
と言っただろか?
自爆に失敗したのだから言ってもよいところだが、そう言ったとしてもやはりそれは組織の論理だ。
今になって利用価値が生まれたから救うということなら、それもまた組織の論理だ。
彼女の肉声は聞こえてこない。
彼女の肉声を決して世間に聞かせない。あくまで孤立させるというのは組織の論理だろう。
個人として
本人はどう思っていたのか?
死にたかったのか?
死にたくなかったのか?
なんであれ米軍に復讐したかったのである、というならそれは個人の論理である。
それを利用して自爆要員として捨て駒に使うのは組織の論理だろう。
生き延びることこそが復讐であるという励まし方だってあるだろから。
しかし
彼女は生きて釈放されたら再び復讐に向かっただろう。
それを許さないために処刑したとすればヨルダン側の組織の論理である。
だが・・・、
彼女の気持ちを我々日本人は文化的に理解できるはずなのだ。
なぜなら
江戸時代、日本には仇討ちの制度があったからだ。親族が屈辱的に殺された者には復讐する権利がある。いまでも凶悪犯罪が発生すると、その権利を分かってほしいと、仇討ち制度の復活を求める声が現れる。
彼女の兄弟は米軍の攻撃で殺されたという。本当かはったりかは知らないが、自爆テロ要員はそういう戦争被害者が一定数を占めるということについては既に報道機関を通じて世間に認知されているところである。
そういう理屈で、つまり米軍のお陰で米軍に復讐したい者は次々に現れるてくれるから、テロリストにとって自爆テロ要員の供給には事欠かないという仕組みだ。
テロ組織にとって都合のよい話だ。まさか裏で取引しているのではあるまいな?
しかし復讐を目指す個人にとっても組織が標的を提供してくれるから、両者利害が一致して商談が成立する。
日本ではその後仇討ちが廃止された。いや禁止された。
仇討ちを許してしまうと、残された親族の人生が仇討ちのために奪われてしまうからだろう。仇討ちが認められてしまうと仇討ちしない親族は例えば親不孝ということになり世間から追いつめられる。
自爆テロはまさにそうである。仇討ちのために自らの命が犠牲になるのだ。しかもそれは自己責任として処理され、英霊として組織に利用され、仇討ち志願者の再生産に使われる。
もちろん自爆テロ実行犯の中には自ら強く望んでそうする者から、そう言わされている者、さらには誘拐された上強制されたり騙されて自爆スイッチを押す者までさまざまだろう。ボコハラムの自爆少女は遠隔操作スイッチだったらしいと報道されている。
個人の論理と組織の論理の比率は様々である。
「復讐をしたい」
という犯罪被害者の叫びは、犯人に向けた怒りの表現である。
では本気で復讐したいのか?
復讐が禁じられているからこそ安心してそれが言えるのかもしれない。
「復讐していいよ」
理解者のふりをしてそう語る組織や、被害者の気持ちを勝手に共感する周囲の野次馬が、実は恐ろしい悪魔だったりする。
もっと時代を遡ってみよう。
「論語」
に象徴的な話がある。
楚の役人葉公は孔子に、自分の村にいる、ある正直者のことを紹介して賛美する。その正直者は自分の父親が迷い込んできた他人の羊を自分のものにしてしまったという罪を役所に申し出た、と。しかし孔子はこの者を評価しない。正直というなら親子助け合い匿い合うことの方が本物だ、と。子路第十三の十八。
孔子の、法治主義に対する徳治主義の主張だとか、まず家族の絆がきちんとしていることが国家を支える前提だという家庭優先の考えなのだとか、建て前上の定説のようだが、法治国家に都合が悪いこの話はあまり引用されない。
だが父親のドメスティックバイオレンスに悩んでいたというのでもない限り、主義主張とは無関係にこれが人間にとって自然ではなかろうか。
誰でも自分自身に当てはめて思い出してみればいい。
「おまえの母ちゃんでべそ!」
と言われて
「でべそである母ちゃんは悪い」
と母を恨む子供は親不孝である。
誰でも、この誹謗中傷は母ではなく自分自身に向けられているものと受け止めて怒るだろう。
実際そういうことをいう悪ガキは本当に自分の母に会うと
「あ、いつも○○君にお世話になってます」
なんて調子よく態度を翻すものだ。
論語が日本思想の基底のひとつであることは誰でも知っているだろう。
イスラムはイスラムの教えこそ全てを覆う最後の完成された思想だと信じている。しかしキリスト教徒も同様である。そして創価学会員だって自分達の教えが最後の最高の思想だと考えている。
だから、優れた思想はいずれも人間の本質に迫っていると認めよう。
だからなにもイスラムを知る必要はない。
仏教であれ、儒教であれ、神道であれ、共通に達している結論なら真実だ。
旅券返納命令。これこそまさに組織による自己責任の侵害である。
ジャーナリストが行かなければイスラム国の主張に都合のよい映像ばかりがネットで垂れ流されることになる。
自爆テロは組織の論理である。「殺し」を目的に考えれば、一人の命と引き替えに大量の命を奪える。この効率の良さこそが魅力なのであろうが、それが組織の論理である。自爆して死ぬ個人にとっては自身の死は全ての終末である。自爆テロは組織の論理が個人の論理に優先される
テロリストとの交渉は拒否するというのは組織の論理である。
それで犠牲になる個人にとってはそれが終末である。
組織にとってのお金の問題は、
個人にとっての命の問題と等価交換される。
米国政府もまた同様に組織の論理を個人の論理より優先させる。
泥棒も殺人と同程度に罪深いものだとすることは、
殺人も泥棒と同程度の罪でしかないと軽くみなす道を拓くことにならないか。
2045年の人工知能ならどう考えるだろか?