・・・
(前記事から続く)
日本の降伏と原爆投下の関係はどうでしょう。
原爆投下 =原因
日本の降伏=結果
というのが一見わかりやすい図式ですが、
日本の降伏=原因
原爆投下 =結果
という説もあります。
時間的前後関係を考えると後者はあり得ないように見えますが、前編冒頭の雨男のケースもありますので単純には却下できません。
後者の主張の論拠は、アメリカが日本の降伏を確信したのが原爆投下前だったというところです。これで時間的前後関係の矛盾は消えます。
しかしそうすると、
では何のために原爆が投下されたか、
という問題が出てきます。原爆投下前に日本の降伏が確実になっていたなら、何十万人もの日本人が犠牲になる必要はなかったことになるわけですから、愛国心ある日本人には無視できない問題になります。
歴史上の出来事は一回しか起きませんので、ひとつしかないデータから一般化はできません。
そう言われる場合もありますが、そんな屁理屈に騙されてはいけません。
科学的な統計調査をして相関関係を調べたりするのは、相手が語らない場合です。自然物は意志や心を持たないし、動植物には我々の言葉が通じないからです。
相手が人間の場合は違います。人間は意志を持ち、理性的判断に基づいて行動を決め、そのことを言葉にして表明でき、文書に記録もします。
動物や自然物はそれができないから科学的手法を用いて因果関係を探るのであって、相手が人間なら、口と耳があって喋れるのだからワケを聞くまでです。そしてそれこそが相手を
「人間扱いする」
ということです。
それが裁判というもので、
「なぜあなたはそんなことをしたのか?」
と問い、
その理由を正直に答えてくれれば、それがそのまま求める原因です。科学的調査も何もありません。そもそもそれこそが理系の自然科学と文系の人間学の根本的違いです。
とはいえ
政治的しがらみから必ずしも正直に本音を言うとは限りませんから、そこであれこれ穿鑿するだけで学問になってしまうわけです。
しかし戦争は決して一人の人間の気まぐれで行われたわけではありません。いろいろな条件を検討する議論や予め想定されていた基準に照らした判断に基づいて行動が決められているはずです。
日本にとってこの戦争の遂行条件はソ連の中立だったはずです。開戦に先立つ1941年の4月にわざわざソ連に対して
日ソ中立条約
を取り付けたくらいです。
だから8月8日にソ連が宣戦布告した時点で戦争遂行のための大前提が崩れますから、
自動的に戦争継続不可能になります。
日本にとってこの宣戦布告は不意打ちだったわけですが、
問題はアメリカがそれをいつから知っていたかです。
歴史の教科書の教えるところによると、それは原爆投下の半年前です。
そもそも2月のヤルタ会談でソ連に対しドイツ降伏後の対日参戦を確約させています。
その見返りに千島列島の領有まで認めています。(これで日米安保条約がありながらロシアによる北方領土占拠に対してアメリカが知らん顔である理由がわかります。もともとグルだったんですね。)
ドイツ降伏が5月で
シベリア鉄道で軍隊をヨーロッパ戦線から対日戦線の極東まで運ぶのに一週間くらいかかること、
さらにドイツ降伏により戦局不利になった日本が和平を模索し始めたことなどを考えれば、
アメリカ側としては、原爆投下のかなり前に日本の降伏は確実という認識になっていたはずです。
原爆はそもそも対独戦のために開発されたものでしたが、原爆はドイツには使用することなく戦争が終わりました。
では何のために
原爆は広島と長崎に
投下されたのか?
ここで、
黄色人種差別説、人体実験説、対ソ威嚇説、などなと、いろいろ疑惑が出てくるわけです。
ですがいずれにせよ、
日本はもはや反撃できず終戦を模索している
という確信(スパイ情報も含め)を得たからこそ、人体実験だろうが、対ソ威嚇だろうが何でもし放題だったわけで、
そうすると、
日本が降伏すると分かったからこそ
反撃を心配せずに
安心して原爆を投下できたのであり、
因果関係は完全に後者になります。
それで、
何が問題になるかというと、
すでに抵抗できないことが確実になった相手を攻撃し続けることの正当性です。この場合、正当防衛は認められません。
抵抗できないと分かった相手を攻撃し続けるわけですから、むしろ虐殺性が疑われるわけです。
当然ながら
前者の因果関係を主張するのはアメリカです。
それは原爆投下を正当化する文脈においてです。
日本人として
前者の因果関係を信じるか、
後者の因果関係を信じるか
はともかくとして、
単なる因果関係が逆転
がどれだけ大きな意味をもつかの例として心に刻んでおきたい事例です。
勉強とは
こういうことを
学ぶことです。
そうですね。
偉そうな人が、何か知った風に、因果関係っぽいことを偉そうに語るのを聞いたら、
「逆もありじゃないの?」
と疑う習慣こそ
勉強することによって身につけるべき態度です。
因果関係逆転の身近な例をもう一つ。
統計調査の結果
読書量の多い子は学力が高い
という結果が出たとします。
より客観的には
「読書量」と「学力」
の間に
「相関関係」がある
という言い方をします。
ここまでは単なる相関関係にすぎません。
しかし、これを
「たくさん本を読めば学力が上がる」
という因果関係に曲解したい教師は必ずいます。
読書量が多い=原因
学力が上がる=結果
です。
もちろん逆の可能性を疑いましょう。
学力が高い =原因
読書力が高い=結果
という可能性です。
読書するから知識が増えて結果として学力が上がるという考えはもちろんもっともらしいのですが、学力が高ければ、読書のスピードも早く、興味関心の幅も広く読みたい本がたくさんあるのだから読書量が多いのは当然です。
どちらが本当かは相関関係だけからはわかりません。
さらに、
2つは相互作用の関係という可能性もあります。
読書量が多い→学力が上がる→読書量が増える→学力が上がる
の循環になっている場合です。
さらに
2つとも別の原因の結果であるという可能性もありました。
例えば自宅に本や教材がたくさんあるような家庭の子の場合です。この場合家庭で勉強することと本を読むことは必然的に同じことで統計をとる意味がありません。
宿題をしっかりする子というケースもあります。宿題をしっかりすませるためにきちんと調べ物をし、それを読書としてカウントすれば、宿題をしっかり行うことによる学力向上と読書量の多さはともに結果であり、因果関係ではありません。
そのほか
相関関係を過大に解釈したり、課題に解釈している説明や宣伝は疑う癖をつけることが望まれる理由はまだまだいろいろあります。

(前記事から続く)
日本の降伏と原爆投下の関係はどうでしょう。
原爆投下 =原因
日本の降伏=結果
というのが一見わかりやすい図式ですが、
日本の降伏=原因
原爆投下 =結果
という説もあります。
時間的前後関係を考えると後者はあり得ないように見えますが、前編冒頭の雨男のケースもありますので単純には却下できません。
後者の主張の論拠は、アメリカが日本の降伏を確信したのが原爆投下前だったというところです。これで時間的前後関係の矛盾は消えます。
しかしそうすると、
では何のために原爆が投下されたか、
という問題が出てきます。原爆投下前に日本の降伏が確実になっていたなら、何十万人もの日本人が犠牲になる必要はなかったことになるわけですから、愛国心ある日本人には無視できない問題になります。
歴史上の出来事は一回しか起きませんので、ひとつしかないデータから一般化はできません。
そう言われる場合もありますが、そんな屁理屈に騙されてはいけません。
科学的な統計調査をして相関関係を調べたりするのは、相手が語らない場合です。自然物は意志や心を持たないし、動植物には我々の言葉が通じないからです。
相手が人間の場合は違います。人間は意志を持ち、理性的判断に基づいて行動を決め、そのことを言葉にして表明でき、文書に記録もします。
動物や自然物はそれができないから科学的手法を用いて因果関係を探るのであって、相手が人間なら、口と耳があって喋れるのだからワケを聞くまでです。そしてそれこそが相手を
「人間扱いする」
ということです。
それが裁判というもので、
「なぜあなたはそんなことをしたのか?」
と問い、
その理由を正直に答えてくれれば、それがそのまま求める原因です。科学的調査も何もありません。そもそもそれこそが理系の自然科学と文系の人間学の根本的違いです。
とはいえ
政治的しがらみから必ずしも正直に本音を言うとは限りませんから、そこであれこれ穿鑿するだけで学問になってしまうわけです。
しかし戦争は決して一人の人間の気まぐれで行われたわけではありません。いろいろな条件を検討する議論や予め想定されていた基準に照らした判断に基づいて行動が決められているはずです。
日本にとってこの戦争の遂行条件はソ連の中立だったはずです。開戦に先立つ1941年の4月にわざわざソ連に対して
日ソ中立条約
を取り付けたくらいです。
だから8月8日にソ連が宣戦布告した時点で戦争遂行のための大前提が崩れますから、
自動的に戦争継続不可能になります。
日本にとってこの宣戦布告は不意打ちだったわけですが、
問題はアメリカがそれをいつから知っていたかです。
歴史の教科書の教えるところによると、それは原爆投下の半年前です。
そもそも2月のヤルタ会談でソ連に対しドイツ降伏後の対日参戦を確約させています。
その見返りに千島列島の領有まで認めています。(これで日米安保条約がありながらロシアによる北方領土占拠に対してアメリカが知らん顔である理由がわかります。もともとグルだったんですね。)
ドイツ降伏が5月で
シベリア鉄道で軍隊をヨーロッパ戦線から対日戦線の極東まで運ぶのに一週間くらいかかること、
さらにドイツ降伏により戦局不利になった日本が和平を模索し始めたことなどを考えれば、
アメリカ側としては、原爆投下のかなり前に日本の降伏は確実という認識になっていたはずです。
原爆はそもそも対独戦のために開発されたものでしたが、原爆はドイツには使用することなく戦争が終わりました。
では何のために
原爆は広島と長崎に
投下されたのか?
ここで、
黄色人種差別説、人体実験説、対ソ威嚇説、などなと、いろいろ疑惑が出てくるわけです。
ですがいずれにせよ、
日本はもはや反撃できず終戦を模索している
という確信(スパイ情報も含め)を得たからこそ、人体実験だろうが、対ソ威嚇だろうが何でもし放題だったわけで、
そうすると、
日本が降伏すると分かったからこそ
反撃を心配せずに
安心して原爆を投下できたのであり、
因果関係は完全に後者になります。
それで、
何が問題になるかというと、
すでに抵抗できないことが確実になった相手を攻撃し続けることの正当性です。この場合、正当防衛は認められません。
抵抗できないと分かった相手を攻撃し続けるわけですから、むしろ虐殺性が疑われるわけです。
当然ながら
前者の因果関係を主張するのはアメリカです。
それは原爆投下を正当化する文脈においてです。
日本人として
前者の因果関係を信じるか、
後者の因果関係を信じるか
はともかくとして、
単なる因果関係が逆転
がどれだけ大きな意味をもつかの例として心に刻んでおきたい事例です。
勉強とは
こういうことを
学ぶことです。
そうですね。
偉そうな人が、何か知った風に、因果関係っぽいことを偉そうに語るのを聞いたら、
「逆もありじゃないの?」
と疑う習慣こそ
勉強することによって身につけるべき態度です。
因果関係逆転の身近な例をもう一つ。
統計調査の結果
読書量の多い子は学力が高い
という結果が出たとします。
より客観的には
「読書量」と「学力」
の間に
「相関関係」がある
という言い方をします。
ここまでは単なる相関関係にすぎません。
しかし、これを
「たくさん本を読めば学力が上がる」
という因果関係に曲解したい教師は必ずいます。
読書量が多い=原因
学力が上がる=結果
です。
もちろん逆の可能性を疑いましょう。
学力が高い =原因
読書力が高い=結果
という可能性です。
読書するから知識が増えて結果として学力が上がるという考えはもちろんもっともらしいのですが、学力が高ければ、読書のスピードも早く、興味関心の幅も広く読みたい本がたくさんあるのだから読書量が多いのは当然です。
どちらが本当かは相関関係だけからはわかりません。
さらに、
2つは相互作用の関係という可能性もあります。
読書量が多い→学力が上がる→読書量が増える→学力が上がる
の循環になっている場合です。
さらに
2つとも別の原因の結果であるという可能性もありました。
例えば自宅に本や教材がたくさんあるような家庭の子の場合です。この場合家庭で勉強することと本を読むことは必然的に同じことで統計をとる意味がありません。
宿題をしっかりする子というケースもあります。宿題をしっかりすませるためにきちんと調べ物をし、それを読書としてカウントすれば、宿題をしっかり行うことによる学力向上と読書量の多さはともに結果であり、因果関係ではありません。
そのほか
相関関係を過大に解釈したり、課題に解釈している説明や宣伝は疑う癖をつけることが望まれる理由はまだまだいろいろあります。
