最近はあまりきかなくなりましたが、

現在の日本は原発に
「頼らざるを得ない」

という主張もありました。

これは主張と言えるのだろか?
これは推進派の主張だろうか?
反対派の主張だろうか?
それとも政府の不甲斐なさへの皮肉だろか?

この言葉には発言者の屈折した気持ちが滲み出てますね。
「ざるを得ない」
というのは原発をよく思っていないことがありありとした言い方です。
しかしこの文句から導かれる結論は、
「だから原発は必要だ」
なのですよ。
ホンネはどっちなの?
原発やりたいの?
やりたくないの?

「ざるを得ない」

と言わねばならないほど嫌なものなら、やめちゃえばいいのに!

少なくとも
代わりになるものがあるのなら、
あるいは見つかり次第、
あるいはでき次第

「いつでもやめるべき」
という主張になるんですかね。

本気だろうか?

そういうことを言っていた人は、本気で原発に代わるエネルギーを考えていたのだろか?
あるいは
原発を少しでも安全で信頼できる夢のエネルギーにしようと努力していたのだろか?
それとも
そんなこと考えるの俺の仕事じゃないよって思っていたからこそ、
「ざるを得ない」
ってことにして責任逃れの手を打ったと言うことだろか?そう。確かにこのセリフを言えば誰でも「俺の責任じゃないよ」って言うことにはなりますね。

民主主義ってのはみんなで参加すること。
どんなすばらしい政策でも一人の天才にすべて任せようとするなら、それは民主主義ではない。もちろん逆に、ひとりの生贄に全ての責任を押しつけるのも民主主義ではない。みんな責任とりたくないから、最後は誰か一人に全部押し付けることになる。イジメみたいですね。

「ざるを得ない」

福島の事故が起きる前まではこの考え方が日本国民の常識だったと記憶していますが、それで間違いないですか?
事故前のことはもう思い出せない。今は反原発が主流になりつつありますが、事故が起こるまではみんな原発推進派で、いろいろな理屈を捻っては原発推進すべきと自分自身にも周囲にも言い聞かせてきましたね。今となってはその理屈はもう思い出せません。原発を信じて電気を使っていた時代はもう遠い過去のこと。
いいえ
まだ二年も経っていません。不用心に原発を信じて疑わなかったあの頃を忘れたことにして、自身の愚かさから目をそらす気ですね?

いいえ
本当に忘れてしまったのです。私はバカなのです。本当に、あの地震以来、世の中がすっかり変わってしまって、こうも変わってしまうともうその前のことは思い出せないのです。なんだかあの事故の前から自分はずっと原発に反対だったような気がしてくるのです。
実際のところどうだったか?もう思い出せない。

戦争が始まったら
戦争前に言っていたことはすっかり忘れましたね。多くの人が戦争に反対だったのに、そんなことすっかり忘れて、みんな戦争に大賛成になります。戦争に反対した人は非国民になり、国賊になり、過激な破壊者を英雄と崇めて尊敬するようになります。
戦争が終わったら、
戦争中に言っていたことはすっかり忘れましたね。みんな戦争に賛成していたはずなのにそんなことすっかり忘れたことにして、戦争はよくない。私は反対だってみんなが言い出しますね。それまで英雄として崇めたりおべっか使って媚びていた英雄を、
途端に犯罪者、破壊者呼ばわりし始めますよね。

同じ過ちを繰り返したくないなら、
忘れなければいい。

いいえ

忘れてしまって
同じ過ちを繰り返してしまったなら…
そのときは
みんなで互いに

バカ!

って言い合えばいい。

それでみんな
気が済むよ。