第24話はハイチ共和国です。
ロンドンオリンピックでは
大地震からの復興に励む
ハイチ共和国
を是非応援しましょう。
ハイチ共和国は
前回北京大会は
陸上競技4、ボクシング1、柔道2の
計7名の参加です。
その内訳は金0、銀0、銅0、合計0です。
そして
今回ロンドンオリンピックは
陸上競技4、柔道1の
計5名の出場予定です。
(詳細はこの記事最後に一覧にします)
↓ハイチ共和国の位置です。
第21話ジャマイカのすぐ東にあるイスパニョーラ島の西側にあります。
面積は27,750平方キロメートル(四国と九州の中間程度の面積)程度で、
人口は1000万人(2010年)程度(東北6県合計よりも多く東京都よりも少ないくらい)です。
マンゴー、カカオ、コーヒーなどを輸出しています。
ハイチはジャマイカと同様
地震国です。
2010年1月12日に発生したM7.0の地震では死者31万人の被害を出しました(2011年の東北地方太平洋沖地震の10倍の被害です)。あの地震からようやく2年半が経過したところです。復興は進んでいるでしょうか。20世紀最大の被害地震は1976年に中国で起きた唐山地震(M7.5)で死者24万人ですから、それを上回る最大級の被害地震です。地震被害はマグニチュードの大きさだけではなく、震源と都市地域との距離が大きく影響します。さらに耐震対策や社会の危機管理能力、経済的なゆとりが大きく影響することは当然です。
ハイチは貧しい国なのです。
2008年現在、南北アメリカでただ一カ国ハイチだけが国連LDC(後開発途上国=最貧国)に指定されています。
しかしハイチは世界史の教科書にしっかりと登場するメジャーな国なのです。
ハイチ革命(1791年~1804年)の歴史上の意義からです。
南北アメリカで最初に独立した国はアメリカ合衆国(1776年)。では2番目はというと、それがハイチ共和国(1804年)なのです。
その後アメリカ合衆国はこの地域でもっとも豊かな国になりました。
ハイチ共和国は最も貧しい国になりました。
ハイチは中南米では最初の独立国です。後に中南米各国を独立に導くシモン・ボリバールを一時匿うなど、中南米各国の独立にも寄与しています。
そして世界最初の黒人による近代国家です。第21話ジャマイカの独立が1962年であり、アメリカ合衆国の公民権運動が1950~1960年代であることを考えるとその先見性がわかります。ハイチ革命は植民地独立戦争であり、基本的人権の保障を求める革命であり、最初に成功した黒人解放闘争で奴隷反乱でもあります。フランス革命やアメリカ独立戦争に匹敵する意義がある革命です。
ハイチ共和国がどのようにできたか、その歴史を見てみましょう。
ハイチ共和国のあるイスパニョーラ島は、1492年にコロンブスに発見されました。当初はスペイン人によって植民地化されました。スペイン人は最初、先住民インディオ(アラワク族、カリブ族)を奴隷として酷使しますが疫病と過酷な労働で死に絶えると、アフリカから黒人奴隷を輸入して植民地経営を続けました。
やがて島の西部をフランスが徐々に植民地化してゆきますが国力の衰えていたスペインはこれを防止できず1697年に島の西側3分の1がフランス領になります。これが現在のハイチ共和国の領域となります。フランスはここでアフリカ人奴隷を使って林業、さとうきび、コーヒーなどを生産します。奴隷労働で得た利潤によってプランテーション経営者は裕福な生活を送ります。アフリカから奴隷を輸入し、その奴隷で砂糖を生産してヨーロッパに売る。アフリカ黒人国家はヨーロッパから武器を買って黒人奴隷を売る。ハイチは、ジャマイカと同様に、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカの三角貿易の典型的な一角となります。
ハイチでは1804年の独立に先立って早くから奴隷反乱が頻発してました。フランソワ・マッカンダルは18世紀のハイチの最も有名なマルーン(逃亡奴隷)指導者の一人です。マルーンはプランテーションから逃亡して山岳地域で暮らすようになった黒人奴隷の子孫ですが、単に逃亡しただけではなく仲間の解放と生活物資確保のため絶えずプランテーションを襲撃しました。マッカンダルはプランテーションの逃亡奴隷でブードゥー教の司祭でしたが1751年~1758年までゲリラ活動を行い、毒薬と大農園への襲撃で6000人以上の白人を殺害したと言われています。もちろん白人側から見れば凶悪犯罪者ですが、奴隷側から見れば英雄です。このカリスマ的指導者の役割は、各地で散発的、無計画、個別に行われている反乱や抵抗を組織化してひとつの闘争に纏め上げることでした。こうして単なる暴力的反抗が正当な主張を持つ革命に昇華してゆきます。しかしマッカンダルは1758年に部下の裏切りによりフランス軍に捕らえられ生きたまま火炙りにされて処刑されてしまいます。マッカンダルの解放闘争は多くの奴隷たちに抵抗運動の道と可能性を示し後のハイチ革命を導きます。
ハイチ革命は1791年から始まります。発端となったのは1789年のフランス革命です。
フランス国民議会による1789年の人権宣言は、全ての人間の自由と平等を宣言しました。
ハイチはフランスの植民地ですから、フランス議会の決定は適用されて当然です。
1791年始めヴァンサン・オジェが処刑されます。オジェはフランス人権宣言を受けて参政権を要求したのです。しかしこれを植民地知事に拒否されたので短期間の反乱を起こしていました。
オジェは捉えられ、車輪に縛り付けて身体の自由を奪われた上、槌で殴打され死ぬまで放置されました。
同じ年1791年8月22日には、ブードゥーの高僧デュティ・ブークマンが奴隷たちに突然動員令を発して大規模な奴隷反乱を起こします。奴隷たちは白人支配者を殺し、プランテーションを焼きました。
この後、ナポレオンに敵対していたスペイン、イギリスをも巻き込んで戦争が拡大しますが1801年に植民地域の大半を支配下に置いたトゥーサン・ルーヴェルチュールが憲法を発行し自治政府を作るに至ります。これに対しフランス本国のナポレオンは義弟の率いる遠征軍を派遣して再支配を試みます。トゥーサンはこれに敗北して捕えられます。
しかしフランスが奴隷制復活を計画していることが明らかになるとフランス軍に加わっていたデサリーヌやペションらが再び反旗を翻し、フランス軍を打ち破って最終的に1804年に独立宣言を行います。こうしてハイチは独立と奴隷解放を果たします。しかし戦いは簡単には終わりません。
フランスからの圧力はその後も続き、独立承認と引き換えに奴隷所有者に賠償金を支払うことを同意させられます。独立を守るための譲歩でしたが、この賠償金がハイチ経済を破綻させ、その利子の支払いがその後のハイチ経済発展の足枷となってしまいます。
歴史上輝かしい革命を起こし他国の独立にまで影響を与えながら、ハイチ本国はその後21世紀の今日に至るまで、内戦やクーデターや外国(1915年~1934年 米国による軍事占領など)の介入が続き政情が安定しません。一貫した経済政策もなかなか実現しないので貧しいままです。2010年の地震はそんな中で起きてしまいました。
ハイチ共和国はジャマイカ(第21話)と同じような経緯から出発した黒人国家ですが、オリンピックでの活躍には大差があります。ロンドン大会ではジャマイカに負けないよう是非がんばってほしいですね。
ハイチ共和国とそのスポーツ事情について
あるいは選手について何かご存知の方はコメントください。
記事の間違い訂正も大歓迎です。
[前回北京大会の結果]
<陸上競技>
@Barbara Pierre選手 女子100m 予選11.54 準々決勝11.56 Did not advance 31
@Ginou Etienne選手 女子400m 予選53.94 Did not advance 41
@Nadine Faustin-Parker選手 女子100m hurdles 予選13.25 Did not advance 29
@Dudley Dorival選手 男子110m hurdles 予選13.78 30 準々決勝13.71 25 Did not advance 25
<ボクシング>
@Azea Austinama選手 ライトヘビー級 ブラジルのSilva選手に初戦敗退
<柔道>
@Joel Brutus選手 男子100 kg超級 韓国のBum選手に初戦敗退
@Ange Mercie Jean Baptiste選手 57 kg以下級 キューバのLupetey選手に初戦敗退
[今回ロンドン大会の出場予定]
<陸上競技>
@Moise Joseph
選手 男子800m競走
@Jeffrey Julmis
選手 男子110mハードル
@Samyr Laine
選手 男子三段跳び
@Marlena Wesh
選手 女子200m競走,400m競走
<柔道>
@Linouse Desravine
選手 女子52kg級