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第21話はジャマイカです。

長距離王国エチオピア(第16話)、
中距離王国ケニア(第19話)、
と来れば
当然
短距離王国ジャマイカの番です。

ロンドン大会では
注目の短距離王国
「ジャマイカ」
を是非応援しましょう。

ジャマイカといえば
カリブの海賊

ジャマイカのコーヒーといえば
ブルーマウンテン 

ジャマイカの音楽といえば
レゲエ

ジャマイカの資源といえば
ボーキサイト
(アルミニウムの原料)


 前回北京大会
ジャマイカは総勢50名の参加で獲得メダルは

金6、銀3、銅2、合計11です。

 陸上競技男子100mを世界記録で優勝した
ウサイン・ボルト選手
は、200mでも優勝。男子 4×100mリレーもあわせ、すべて世界記録での短距離三冠王です。
 女子100mは、1、2、3位をジャマイカ選手だけで独占する圧倒的強さを見せつけました。男子100mは1、5、6位,女子200mは1、3、6位,女子400mは2、7位がジャマイカ選手です。
 人口270万人の、決して豊かではない小さな島国がオリンピック花形種目の勝利を独占してしまいました。
 ジャマイカは短距離走以外では、
男子が10種競技1名(9位)、
砲丸投げ(予選敗退)、
走り幅跳び(予選敗退)
女子が3000m障害、
走り幅跳び(Chelsea Hammond選手4位)
三段跳び(11位)
砲丸投げ(予選敗退)
槍投げ(予選敗退)に出場しています。
 このほか陸上競技以外に、水泳3名、自転車1名、馬術1名が参加しています。

 ジャマイカのオリンピック初出場は1948年ロンドン大会で、いきなり金1(男子400m)銀2(男子400m、男子800m)を獲得しています。
 以来男女とも短距離を中心にメダルを獲得し続けています。北京では過去最高数を獲得しましたが、突然強くなったわけではありません。
 過去のメダルはトータルで陸上競技54、自転車1です。熱帯の国でありながら1988年カルガリー大会以来
ボブスレー
で冬季オリンピックにも出場しています。

↓ジャマイカ共和国の位置です。
ニャンコのうんちく-ジャマイカ
 ジャマイカ島を含む西インド諸島はプレート沈み込み帯にできた弧状列島で日本と同様

地震

が多発します。すぐ東隣のハイチでも2010年に地震があったばかりです。

1692年の地震はカリブ海賊の拠点となっていた港ポート・ロイヤル(当時の首都)を壊滅させた歴史的地震です。


 次は外務省HPから。
面積は11,424平方キロメートル(秋田県とほぼ同じ大きさ)
人口は273.0万人は日本の47分の1。京都府よりも多く、広島県より少ないくらい。第11話モンゴル国と同じくらいです。面積でみても、人口でみても、

日本の県ひとつ分


の小さな国です。
 その小さな国が世界的音楽の発信地であり、陸上短距離界をリードする国です。

 ジャマイカの首都はキングストン。
 ジャマイカの民族構成は、アフリカ系91%、混血6.2%、その他2.6%
 言語は、英語、英語系パトゥア語
 宗教はプロテスタント等

さて・・・

 ジャマイカは、アフリカではないのに民族構成はアフリカ系90%です。
 言語は、中南米諸国の多くがスペイン語なのに対し、ジャマイカは英語です。
 宗教はキリスト教ですがエチオピアのようなアフリカ系キリスト教ではなく、また他の中南米諸国の大半がカトリックであるのに対し、ヨーロッパ北部と同じプロテスタントです。
 しかしジャマイカは20世紀にエチオピア(第16話)と深いつながりを持ちます。レゲエがメッセージとして伝えているラスタファリ運動の思想が、ジャマイカ黒人のルーツをエチオピアを介して旧約聖書の古代イスラエル人に求める思想だからです。

 ジャマイカはどうやって国になったのでしょう?

 ジャマイカは、自由を奪われ人間としての尊厳を踏みにじられた黒人奴隷とその子孫たちが、400年(ジャマイカ大使館のホームページでは先住民時代から約500年)にわたって、抗議し、抵抗し、戦い抜いた末についに支配者から奪い取った国です。
 ジャマイカほど、人間が人間らしく生きるためにこそ、自分たちの国家を戦いとるのだということを教えてくれる国もありません。

 ジャマイカ島に最初に住んだのはもちろんインディオ(南米から移住)ですが、現在その子孫はいません。しかし現在のジャマイカ人は島本来の先住民(タイノ族)たちに敬意を示してか、国章にその姿を描いています。大使館のホームページを見ると、現在のジャマイカが

先住民虐待


 から始まったことを国の歴史の出発点にしっかりと据えています。
 ジャマイカには1494年に

コロンブス

が到着し、1509年にスペイン人が島を征服すると、先住民は奴隷として酷使され、さらにスペイン人によって持ち込まれた伝染病によって絶滅してしまいます。

 スペイン人は次に、西アフリカから黒人を連行してきて奴隷として働かせることにしました。 

東アフリカ

の、エチオピアやケニアに対し、ジャマイカ黒人は

西アフリカ

の黒人になります。

彼らは荷物同然に狭い部屋に詰め込まれ衛生上の配慮もなく運ばれました。ジャマイカ大使館のホームページをみると、これら奴隷船の中で運搬中に何万人もが命を落とし、到着後も日常的に殴打や暴行を受け、家族は離れ離れにされ、衛生環境も悪い住居の中で平均寿命7年という過酷な環境に置かれていたとのことです。

平均寿命7年?

そんなことあり得るのでしょうか?そうです。あり得ないです。7歳で子供は作れません。それは明らかに乳幼児が生きられない環境、そして死亡率が出生率を上回っている環境です。奴隷とはそういう状況だったようです。つまり死んでも構わない。新たな奴隷をまた買って補えるから死んでもよかったのです。どうやらそれが大西洋三角貿易の実態だったようです。

命の使い捨て

が平気で行われていたということでしょう。

 ボルト選手ら現在のジャマイカ黒人の祖先はこのような扱いを受けていた人たちです。

 ジャマイカには

サトウキビ


プランテーション

が次々とつくられ、スペイン人は黒人奴隷をそこで働かせました。そこで生産された砂糖はヨーロッパに輸出され、その収益で銃を買い、銃は西アフリカの黒人王国に売られました。銃と引き替えに黒人奴隷を買い、黒人奴隷はジャマイカなどアメリカ大陸に売られました。それと引き替えに得た砂糖はヨーロッパに・・・
 いわゆる

大西洋三角貿易


です。
 イギリス統治は1655年頃のジャマイカ侵攻からはじまり1670年

マドリード条約

で完結します。この条約以後ジャマイカはイギリスの植民地になります。
 しかしジャマイカの周囲はほとんどがスペイン領です。十分に島を守りきれないイギリス政府のとった政策が

海賊行為の公認


でした。ジャマイカを海賊たちの拠点として公認したのです。これがカリブの海賊です。イギリス国家公認の海賊です。海賊たちはジャマイカを拠点に周辺のスペイン領を襲撃、略奪します。
 イギリスはジャマイカに、黒人奴隷だけでなく、すでに植民地化したアイルランド人も送り込みます。

 マドリード条約から292年後、ジャマイカは1962年に独立してひとつの国になります。
 ジャマイカを国にしたのはスペイン人でもなく、イギリス人でもありません。
 ジャマイカを国にしたのはジャマイカ人です。(ジャマイカ大使館のHPをみると良識ある一部のイギリス人たちの支援にも言及しています。)
 それは16世紀以来400年以上にわたる、奴隷制と植民地支配に対する抵抗と戦争の末に実現した国です。
 抵抗の歴史は

マルーン

と切り離して語ることはできません。マルーンとは

逃亡奴隷

のことです。初期のスペイン統治時代早くもプランテーションから逃げ出した奴隷たちがいました。逃げ出した奴隷たちは山岳地帯に逃げ込み、そこで自給自足の生活を始めます(中南米全体では先住民インディオの村に逃げ込んで助けられ、共闘したケースも多いようです)。
 マルーンはただの逃亡者ではありません。逃げ出して自由を手に入れただけは決して満足しませんでした。
 人間には尊厳があります。不当な差別や抑圧を許せるわけがありません。苦しんでいる仲間たちのことを見捨てられるわけがありません。
 マルーンたちは、ただ逃げ出しただけでなく

奴隷解放のための戦い

を開始したのです。

 そして白人の植民地政府に対し、果敢に抵抗と反乱を繰り返しました。


 マルーンたちがしたことは奴隷たちの逃亡を助けること、

しばしばプランテーションを襲撃して奴隷たちを解放すること、

そして逃げ出してきた奴隷を匿い、仲間にしてゆくことです。


 彼らは山の中に村を作りました。そして自衛と

プランテーション襲撃

のために

武装

しました。やがて彼らは戦士となってゆきました。

 暴力の正当化ですって?

そう言いたい方はどうぞ。

 1731年第一次マルーン戦争が勃発します。それまでもマルーンたちは、奴隷解放のための襲撃を繰り返し、グラニー・ナニー(ジャマイカの国家的英雄のひとり)らを中心に着々と地盤を固め、奴隷解放を繰り返しました。マルーンたちの共同体が大きくなるとやがて町になります。イギリス陸軍はこういった町をしばしば攻撃して破壊しようとしましたが、マルーンたちも抵抗しました。
 抵抗が次第に広がりジャマイカ全土に広がったこの頃、グラニー・ナニーの兄弟の一人クジョーという指導者が指揮を執りイギリス植民地政府に対しジャマイカ全土でゲリラ戦を展開するようになります。
 イギリス植民地政府はクジョー率いるゲリラに勝つことはできませんでした。
 1739年ついにイギリス植民地政府に協定を結ばせます。マルーンを植民地政府管理下の住民として認め、彼らの町を攻撃しないことを約束させました。しかしマルーン側が新たな逃亡奴隷を匿わないという条件付きでした。

 これでマルーンたちは自分たちの生きる権利と自由を確保しましたが、自分たちの自治と引きかえにイギリス側傭兵として奴隷反乱を取り締まる側になってゆきます。

 もちろん闘いがこれで終わるわけではありません。残った奴隷たちの解放闘争は当然として、少数の白人たちに奪われて独占されたままの土地と産業を奪い返さなければなりません。
1760年タッキーの乱
1795年第二次マルーン戦争
を経て1807年にはジャマイカーアフリカ間の

奴隷貿易を禁止させます。
1831年バプテスト戦争(サム・シャープの反乱)の後、1838年までには

奴隷制自体を廃止させます。

 黒人も建前上選挙権を得ますが、高額の投票費用を必要とする制度により実際には選挙権は白人だけのものでした。奴隷制廃止に伴い黒人たちは無給でただ働きさせられる奴隷から賃金をもらえる労働者として雇われる機会を得たはずでしたが、植民地支配者はインド人や中国人をあらたに導入しました。ジャマイカはさらにいろいろな民族からなる国になってゆきます。
 1865年モラント・ベイの反乱が起きますがこの反乱は非戦闘員を含む虐殺により鎮圧され、ジャマイカの植民地議会さえ廃止され、ジャマイカはイギリス王室の直轄植民地にされてしまいます。

 20世紀に入るとジャマイカ人には、アイデンティティの悩みも顕在化します。
 私たち日本人に当てはめて考えてみましょう。私たち日本人には、天照大神という神様が日本を作ったという小綺麗でお洒落な日本神話があります。
 もしも私たち日本人が、かつて日本列島に無理やり連れてこられた、惨めな奴隷の子孫だとしたらどうでしょう?人生に前向きな誇りが持てるでしょうか?
 1914年ジャマイカ人ジャーナリストで実業家の、マーカス・ガーベイが世界黒人地位向上連盟をキングストンで結成します。ガーベイによるアフリカ帰還運動は成功しませんが、差別され続けている黒人の地位を向上させたり、黒人的なものを肯定的に捉えて黒人の誇りを取り戻そうとする運動を盛んにさせました。ガーベイの試みは後にアメリカ合衆国で起こる公民権運動の先駆けとなり、ジャマイカではラスタファリ運動に引き継がれます。
 ジャマイカはキリスト教国です。ジャマイカ人の一部は黒人を旧約聖書の民だとする思想に救いを求めます。アフリカで植民地化されずに独立を保ち続けている黒人国家エチオピアの王家がソロモン王の系譜をひいているからです(第16話)。
 1930年にエチオピアでハイレセラシエが皇帝として即位するとこの運動はさらに盛り上がり、ハイレセラシエはを神の化身と考える人たちが現れます。ハイレセラシエの即位前の名前ラス・タファリ・マコンネンに因んで、ラスタファリ運動と自称します。この運動のメッセージはボブ・マーリーを中心にレゲエを通して世界に広げられてゆきます。
短距離王国ジャマイカと長距離王国エチオピアはラスタファリを接点に結びついているのです。

 1930年代には労働運動の高まりから大きな労働組合が結成され、やがて政党に発展します。
 1938年人民国家党、1943年ジャマイカ労働党ができます。この二大政党は1944年イギリス政府に普通選挙による議会を設置させ、同年、総選挙が行われます。
1957年には 英国自治領となり、1962年8月カリブ海英領植民地の中ではじめて独立を果たします。
 現在ジャマイカはエリザベス2世女王を元首とする二院制議会(上院21名、下院63名)を持つイギリス連邦内の立憲君主制国家です。

 ロンドン大会では、自由と正義のために500年間闘い続けてきたジャマイカ人戦士たちの子孫を是非応援してみませんか。
 ジャマイカについて何かご存じの方はコメント下さい。


[前回北京大会ジャマイカ選手団の戦績]

<金メダル>
@ウサイン・ボルト 陸上競技 男子 100m 8月16日
@シェリー=アン・フレーザー 陸上競技 女子 100m 8月17日
@ウサイン・ボルト 陸上競技 男子 200m 8月20日
@メレーン・ウォーカー 陸上競技 女子 400mハードル 8月20日
@ベロニカ・キャンベル=ブラウン 陸上競技 女子 200m 8月21日
@ウサイン・ボルト,マイケル・フレイター,ネスタ・カーター,アサファ・パウエル 陸上競技 男子 4×100mリレー 8月22日 この種目は日本チームも銅メダルを獲得。


<銀メダル>
@シェローン・シンプソン 陸上競技 女子 100m 8月17日
@ケロン・スチュワート 陸上競技 女子 100m 8月17日
@シェリカ・ウィリアムズ 陸上競技 女子 400m 8月19日


<銅メダル>
@ケロン・スチュワート 陸上競技 女子 200m 8月21日
@アナスタシア・リロイ,シェリーファ・ロイド,ボビー・ゲイ・ウィルキンス,ノブレーン・ウィリアムズ,シェリカ・ウィリアムズ 陸上競技 女子 4×400mリレー 8月23日