チキンライス 408
文章は書き出しが勝負だ。書き出しの文章で
読者をおやっと思わせればなんとかなるが、つ
まんなければポイと捨てられて省みられない。
と云いながら、いい書き出しを書くのは難しい。
例えば、今日、ママンが死んだ。もしかすると、
昨日かも知れないが、私にはわからない。これ
は、ごぞんじ、アルベール・カミュの作品、異邦
人の書き出しの文章。文豪、トルストイのアンナ・
カレーニナの冒頭の文章も夙に高名である。幸
福な家庭はすべてよく似ているが、不幸な家庭
はみんなそれぞれに不幸である。ヘンリー・ミラ
ーの南回帰線ではこうである。幻影を捨て去れ
ば、たとえ混沌のなかにあっても、あらゆること
が判然としてくるものである。村上春樹の世界
の終わりとハードボイルド・ワンダーランドなん
かも紹介しよう。エレベーターはきわめて緩慢
な速度で上昇をつづけていた。おそらくエレベ
ーターは上昇をしていたのだろうと私は思う。し
かし正確なところはわからない。トリは太宰治の
晩年である。死のうと思っていた。ことしの正月、
よそから着物を一反もらった。お年玉としてであ
る。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい
縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着
物であろう。夏まで生きていようと思った。
事ほど左様に、文章の書き出しは難しい。