粕汁 369
徳島と言うところは、稀代・開高健がいみじくも喝破
したごとく、眠ったような田舎町にすぎない。したがっ
て若者には退屈このうえない住み心地であろうが、
年寄りには、さながら温いお風呂のような生活環境
である。
以前、小豆島に高名な自由律のお墓参りに行った
折り、お寺を拝見したが、伽藍の規模が比較的小さ
いのに驚かされた。お寺の建物の規模が、それを支
える地域の経済的豊かさに比例するのなら、徳島の
経済は豊かなので有るまいか。ぼくが住んでいる地
域には五つばかりの僧院があるが、いずれも巨大な
建物である。
お寺の大きさを自慢しているわけではないが、それ
ぐらいしか書くことがないので許されたい。わが郷里
は、居眠りをしているような田舎町だからいたしかた
がないのである。故郷というのは、退屈極まりない反
面、古女房のような安心感を覚えることもある。なん
でもそうであるが、何かを手に入れるということは、何
かを喪失することでもある。反対に、何かを失うという
ことは、何かを手に入れることでもある。これが生活の
弁証法である。