雪だるま 110
飴をなめまなこ見ひらく梅雨の家 西東 三鬼
他人と会うときは、つねずね気をつけているつもりですが、不快
な思いをしたり、話がかみ合わなくてもどかしい思いがすることが
多く、楽しかったり、勉強になったり、元気をもらうことは稀と言わ
ざるを得ない。とくに、がんこな老人と会話をするのは、やっかい
である。自分の思い込んでることを、一方的にしゃべるだけで、こ
ちらの話を聞こうとしない。言葉のキャッチボールが成り立たない
のである。さながら、壁にボールをぶつけているようで、空しい思
いがするだけである。あんがい、人間の会話は、誤解のうえで成
り立っているのかもしれない。おたがいに分かったような感じだけ
して、真逆の意味に捉えられていることもしばしばではないだろう
か。
男女の間の意思疎通は、愛深ければ氷上をすべるスケートのよ
うになめらかだが、いったん齟齬をきたすと、ながい石段を駆け上
がるトラックのような、はなはだ困難な運転を強いられる。ひとたび
ハンドルを切りそこなうと、奈落の底に転落する羽目におちいる。
したがって、相手が不機嫌な折には、薄氷をふむような注意を要し、
あだやおろそかな扱いをすれば、ついに破局を迎えること必定であ
る。小生は運転を雑にして、いくたりの女性に去られたであろうか。
いまさら悔やむ気持ちはないが、それでも走馬灯のように、あまた
の笑顔が、現れては消え、現れては消えると、感傷は深い。