柿一個 737
渋柿の列を見てゐる心天 佐藤 郁良
プロテスタンティズムの倫理を媒介として発達してきた資本主義
の精神に基づく社会では、経済的に富んでいるということ、すなわ
ち、経済エリートであるというこは、隣人愛の実践という意味での
自己の職業に充分に忠実であったということの証明であり、神の
救済が得られた証でもあり、たいへんに名誉なことである、とされ
る。
このように、特権的エリートであることが社会的に公認されるこ
とによって、ノブレス・オブリッジの意識が生まれる。ノブレス・オブ
リッジとは、特権を有するものは、それだけ大きな責任を社会に対
して負う、という自覚である。自覚であるから、他人によって強制さ
れたものではなく、その自発生はきわめて強く、誇り高い意識によ
って実行されることを特徴とする。
その一例が英国貴族である。教育によってノブレス・オブリッジを
叩き込まれた彼らは、ことあるごとに、平民とは違うのだという意識
をもち、その結果、彼らは、フツーの人が逃げてしまうような危険な
をおかして、国のためにがんばるのである。第二次世界大戦のとき、
圧倒的に優勢なドイツの戦闘機にむかったのも、彼ら英国貴族であ
った。
同じような例として、徳川時代の武士教育のエッセンスは、武士と
は、百姓町人とは根本的に違った人間であるという意識を叩き込む
ことだった。この差別意識がノブレス・オブリッジを生みだす源泉で
ある。武士は、生活がどんなに苦しくとも、倫理は百姓町人よりもは
るかに上にあることが要求された。これが武士道である。
貴族階級におけるノブレス・オブリッジの存否、これこそ、その社会
が存続しうるかどうかの重大な条件である、といっても過言ではない。