星座と檸檬 435
ブログも半年ほどは楽しかったが、今はほとんど
惰性と苦役にすぎない。なんでこんなばかばかしい
ことを、しなければならいのか、はて、とんと合点が
いかない。こんなことに時間を消費するなら、裏の
畑に野菜でも植えたほうが、はるかに有益だろうと
しみじみ愚考する。
だが習慣といゆものは恐ろしいもので、寝覚める
やいなや、こうしてパソコンの前に鎮座してしまうは
めに陥ってしまうのである。悪癖とでも言わざるを得
ない。
話は変わるが、この間、池田晶子の本を読んだと
き、孔子、荘子、キリスト、カント、ヘーゲル、キルケ
ゴール、マルクス、ニーチェ、ハイデッガー、西田幾
多郎、親鸞、道元などの、あまたの思想家に対する
論評が書かれていたなかで、なぜかサルトルがなか
ったのはどういう訳なのであろうか。現在はもはや、
実存主義の有効性が失われたのであろうか。
実存は本質に先立つ。この言葉を始めて知ったころ
を懐かしむ。ああ、哲学してる、と思った。言葉の意味
は、なんのことやらという感じだったが、意味がわから
ないのがありがたいと思った。今では、人間は自由で
ある、ということだと理解できるが、ありがたさに欠け
る。へそ曲がりのぼくは、もう一度サルトルを読んでみ
たい。