燃える麒麟 18
そもそも人間の生活の八割は、ほとんど、双方の勘違ち
がいによって成り立っているのである。故池波正太郎の言。
本当にそうである。会議においてもそうであるが、ほとん
どの方が、あいての意見に賛同するわけではなく、あいてを
好むか、あるいは支持しなければならぬ立場ゆえに、あいて
の意見に賛同するのである。逆に、あいての意見に反対する
場合は、あいてが嫌いか、反対ができる、あるいは反対をし
なければならぬ立場にいるからともいえる。
ぼくのささやかな経験から言わせてもらえば、何かを考え
る場合い、われらは論理的思考になれていない。ゆえに経験
主義とか、権威ある偉人の文言を根拠にして意見を作るので
あるが、それは粘りずよい論理的考察により結論を得るので
はなく。まず結論ありき、その結論を支える論理は、先に述べ
た経験だとか権威あるだれかの言葉である。だからそれはほ
とんだ勘なのである。いくらがんばって考えても、論理学を学
習していないと、論理的考察は無理である。へたな考え休む
に似たり、なのである。