2023.5月

私は25年以上連絡を取ってなかった母が体調悪いから、一緒に病院行って欲しいと妹から連絡があり(妹と母は普通の関係)病院に連れて行き、末期癌の診断を受けた


手術は不可

退院して自宅介護になるに当たり

部屋の整理を始めた所

四畳半、押入れ、8畳のダイニングキッキン

これだけで軽トラック四台分のゴミ

(押入れだけでごみ袋30以上は出たと思う)


本人の希望で抗がん剤治療を始める

全てやってみたけど効果はなく終了

ここまでで約1年半

抗がん剤治療の送迎は1日がかりで、種類によっては週一回っていうのもあり、仕事の調整もなかなか大変

(なんでこの人の為に、私が仕事の調査したり有給使わないといけないの?と言う不満)


車も処分したので、週末は買い物、その他リフレッシュの為に食事に連れて行ったり・・・

なかなかのストレスでした


胃癌末期なのに、食欲はすごくて

大好きなカツ丼はほぼ食べ切ります

鶏もも肉が大好きで、チキンステーキ週2枚は食べてました

豚肉もバラ肉が好み

その他お刺身、お寿司も大好き

本当に病気なの?と思っていましたが、今年の5月末位からは徐々に食べられなくなってきましたね


今月に入って、ヘルパーさんが自宅に行ったら廊下で倒れていて(トイレに行ったけどベットまで戻る体力がなかっただけなんですけど)

もう、自宅介護は難しいと判断

そのまま病院に行き、まずは一般病棟に入院

その後緩和病棟に移動

ここからが早かったかな

元々、延命治療はしない事を決めていたのすが、

点滴の効果というか意味が無くなってきたのでやめて、その翌日には意識がはっきりしなくなってきた。

こちらからの問いかけにも反応が鈍い


私と妹の面会時間を延ばしてくれてからは

仕事終わりには病院に行き

いよいよになってきてからは

朝、仕事前にも面会に行きました


そして仕事していたら病院からの電話

覚悟して病院に向かう

病院に着き、1時間位過ぎた頃母を見たら「あれ?来た時と呼吸の仕方が違う??」と違和感


しばらくして看護師さんが来て「あっ!この呼吸だとまもなくです」と言われた

既に違和感を感じてから1時間が経過してるので、時間がないかもと妹に電話

だんだん呼吸の回数が減ってきて、また呼吸の仕方が変わってきた

「○○(妹)が来るまで頑張れ」と声をかけるが、到着を待たずに息を引き取りました


先生方が、妹が来るまで診察を待ってくれたので

死亡時刻はその時の時刻に


これで母の介護は終わりました照れ

(まぁ、介護なんて言えるほど何かやった訳じゃないんですけどね)




ここから葬儀屋さんに連絡

週末が3連休でしたので

ここで葬儀等をやってしまいたかった


私と妹は、父を含めた3人だけで葬儀等をやってしまいたかったのだが、母の兄弟が、最期の時も病院に来てくれて、そして参列もしたいと。

なので、親戚は母の兄弟夫妻のみとして執り行うことにした

そしたら父が、それじゃ他の親戚が・・・とか言い出して

(私達はもうこれから先、あまり行き来してない父方の親戚や父の仕事関係とは、お付き合いもやめていきたい)


喪主は私がやる事にして

私が全て決めてしまったから・・・と言えば、まぁ父の顔も立つでしょう(どーでもいいけど)

お坊さんの都合に合わせて最短で執り行いました


初めての事で何を決めるのも大変でしたが、無事終わりました


入院していた最後の頃は

「もう少し優しい言葉を掛けてあげれば良かったかな」なんて思ったりもしましたが、良好な関係では無かったし、最後までやったから後悔は全くないです


4月に祖母(母方)

7月にぽーくん

そして母


祖母に関しては、ちょっと違うけど

今年は病院、通院、緊急、看病、介護、そして支払い🤭の一年でした(もう遠慮したい)



これからは、予定をキャンセルなんて事もないでしょうから、たくさんお出かけしたいです



そんな訳でブログをおやすみしてましたが

復活します!


またよろしくお願いします