苦〜い想い
5/11 #-2
本日2回目のブログはまだ経験の浅い技術屋さんの為に書きます.
写真の2本のヴァイオリンはそれぞれある限界値を探る為だけに仕上げて来た個体達です.
片方がトップのハイアーチモデルに関しての検証、そしてもう片方は板厚の設定の限界を確かめる為です.
試奏結果はプロに委ねるまでもなく予想の範疇内でしたので、結果的にこの2本の個体はこのまま製品化はせずに使える部分を取り外して、残りは廃棄処分です.
大まかに言えば、ハイアーチの検証では高過ぎるアーチはピークやクセのある特性を与えてしまい、薄過ぎるトップやバック板構成では力強さと強いアタックで音の腰が割れます。
半年間作業し続け、この設定の場合はどこがどうダメだったかを身を以て確かめた事になります.コレが実に実に大切なんです.構造上の設定限界を知るって事だからです.想像するだけじゃダメなんですね「実際にやらなくっても、たぶんこうなるだろう」じゃ、ぜんぜんダメなんですよ.
こうした体験はいつも不思議に感じるくらいなのですが、ダメだった結果を知ったワタクシの身体は二度とこの設定で楽器を作れなくなるんです.検証作業で体験した事で、これ以上のアーチ高形状に削る気は二度と起こらず、これ以上に薄く表板や裏板を削る事を身体も拒み出すんです。
きっと身体が自らの体験を覚えてるんですね.それと同時に完成させて音を出した時に「コレじゃ、プロの音楽家には通用しない」って事もを実際にアタマでも思い知るわけです.その結果、二度と同じ設定で作る事を全身が拒む感じになるのです。
それでもやる前から分かってはいても、製作者はその結果にみごとにガ~ッカリするんもんなんです.落込むんです、ホントに.ダメな楽器を作ったからです.
アマチュアプレイヤーにはその設定でも通用するかもしれなくても、プロの演奏家に深く愛されるだけのポテンシャルを与えて上げれなかった事というのは製作家にとっては非常に落込む要因なんです.
現にワタクシはこの楽器をバラしながら何度も大きなため息をつきましたもん.分かっていながらも、この2本には申し訳ない運命を与えてしまった、と.
それがそれ以降、これ以上はダメ!と、ブレーキの役目をする訳です。
それだけじゃないんですね、この検証で堪えるのは.
それはこの個体達に掛かった経費です.単純に作業内容の工賃合計だけでも本体の素材コストを除いても1本30万以上の手間ひまが掛かっています.それが今回は2本分ですから大きいです.誰もその費用を支払ってはくれないのです.これは開発費と言う名目の赤字負担となります.
でもそのお陰でワタクシはヴァイオリンという楽器の設定上の限界値を確かめる事が出来ました.
「こうすると、こうなる」残るは「だからここはこうするのがベストなんだ」と言う確信付きでの経験値です.これが大きな宝物なんです.各部分をこうして追い込んで行くのです.
最後にそれらのデータをバランスさせて独自の設計が完成するのです.
ネットなどで簡単に手に入るデータは信じない方が賢明です.なぜなら本人自身が確信を得たデータでは無いからです.自ら確かめたデータはデータが残るだけではなく「その前後の設定の場合ではどうこがどうだったか」までの付随データも体得出来ているからです.そしてそれらは応用が利くんです.無駄にならないんですね.
ワタクシはネットに書かれている事や出回っている情報などは基本的に信頼しません.だってどんなデマや誤りが入り交じっているかも知れない不確かな情報でしょ? それを真に受けるのは大人のやる事じゃないでしょ.
現に新聞にだって本当の事は書けないのが現実ですもん.学校の教科書だって誤りはありますしね.
実際にそうでしょ? そっちの方がリアルな姿なんですからね.鵜呑みにはしない事です。
最後に、若きエンジニアの皆さんには「確かめもせずに何事も信じる事なかれ」とお伝えしておきますね.
「知ったかぶりは一生の恥」と言う事も付け加えておこうかな.(^O^)
本日2回目のブログはまだ経験の浅い技術屋さんの為に書きます.
写真の2本のヴァイオリンはそれぞれある限界値を探る為だけに仕上げて来た個体達です.
片方がトップのハイアーチモデルに関しての検証、そしてもう片方は板厚の設定の限界を確かめる為です.
試奏結果はプロに委ねるまでもなく予想の範疇内でしたので、結果的にこの2本の個体はこのまま製品化はせずに使える部分を取り外して、残りは廃棄処分です.
大まかに言えば、ハイアーチの検証では高過ぎるアーチはピークやクセのある特性を与えてしまい、薄過ぎるトップやバック板構成では力強さと強いアタックで音の腰が割れます。
半年間作業し続け、この設定の場合はどこがどうダメだったかを身を以て確かめた事になります.コレが実に実に大切なんです.構造上の設定限界を知るって事だからです.想像するだけじゃダメなんですね「実際にやらなくっても、たぶんこうなるだろう」じゃ、ぜんぜんダメなんですよ.
こうした体験はいつも不思議に感じるくらいなのですが、ダメだった結果を知ったワタクシの身体は二度とこの設定で楽器を作れなくなるんです.検証作業で体験した事で、これ以上のアーチ高形状に削る気は二度と起こらず、これ以上に薄く表板や裏板を削る事を身体も拒み出すんです。
きっと身体が自らの体験を覚えてるんですね.それと同時に完成させて音を出した時に「コレじゃ、プロの音楽家には通用しない」って事もを実際にアタマでも思い知るわけです.その結果、二度と同じ設定で作る事を全身が拒む感じになるのです。
それでもやる前から分かってはいても、製作者はその結果にみごとにガ~ッカリするんもんなんです.落込むんです、ホントに.ダメな楽器を作ったからです.
アマチュアプレイヤーにはその設定でも通用するかもしれなくても、プロの演奏家に深く愛されるだけのポテンシャルを与えて上げれなかった事というのは製作家にとっては非常に落込む要因なんです.
現にワタクシはこの楽器をバラしながら何度も大きなため息をつきましたもん.分かっていながらも、この2本には申し訳ない運命を与えてしまった、と.
それがそれ以降、これ以上はダメ!と、ブレーキの役目をする訳です。
それだけじゃないんですね、この検証で堪えるのは.
それはこの個体達に掛かった経費です.単純に作業内容の工賃合計だけでも本体の素材コストを除いても1本30万以上の手間ひまが掛かっています.それが今回は2本分ですから大きいです.誰もその費用を支払ってはくれないのです.これは開発費と言う名目の赤字負担となります.
でもそのお陰でワタクシはヴァイオリンという楽器の設定上の限界値を確かめる事が出来ました.
「こうすると、こうなる」残るは「だからここはこうするのがベストなんだ」と言う確信付きでの経験値です.これが大きな宝物なんです.各部分をこうして追い込んで行くのです.
最後にそれらのデータをバランスさせて独自の設計が完成するのです.
ネットなどで簡単に手に入るデータは信じない方が賢明です.なぜなら本人自身が確信を得たデータでは無いからです.自ら確かめたデータはデータが残るだけではなく「その前後の設定の場合ではどうこがどうだったか」までの付随データも体得出来ているからです.そしてそれらは応用が利くんです.無駄にならないんですね.
ワタクシはネットに書かれている事や出回っている情報などは基本的に信頼しません.だってどんなデマや誤りが入り交じっているかも知れない不確かな情報でしょ? それを真に受けるのは大人のやる事じゃないでしょ.
現に新聞にだって本当の事は書けないのが現実ですもん.学校の教科書だって誤りはありますしね.
実際にそうでしょ? そっちの方がリアルな姿なんですからね.鵜呑みにはしない事です。
最後に、若きエンジニアの皆さんには「確かめもせずに何事も信じる事なかれ」とお伝えしておきますね.
「知ったかぶりは一生の恥」と言う事も付け加えておこうかな.(^O^)
