経過報告 2件
10/31 ヨコハマ快晴。10月も最後の1日ですね。
写真は今週は晴れが続くとの予報ですので塗装工程を積極的に進める予定のカスタム製作品達。
CCR-312はギターのSさん、TELESAはNさんのオーダー分。共にバック材がライトアッシュですので目止めに時間が掛かります。生地のアッシュ材の導管が深いのでなかなか下地表面が埋まらないのです。まあ、じっくり仕上げます。
今回のこの2本のカスタムオーダー品も完全に最終的な落し所を決め込んでズバッとそこに落とし込む様に製作しておりますので日に日に楽器らしいオーラ(それをオーラと呼ぶべきものなのかは分かりませんが)が増して来ていますね。
不思議なもので、単に製品化された製造品にはこうした内側から沸き上がって来る様なオーラはまず感じられませんものね。
まあ、楽器屋さんに並んでいる楽器達はあくまで普及品として完結してますからそれでも良いのです。
真ん中のRetoro Cityは優先的に処理を進めた結果、本日で中塗りコーティングまで終了しています。このモデルも年内にtmpを訪れたプレイヤーさん達に是非とも体感して頂きたいので頑張って仕上げています。
どんなに優れたプレイヤーであっても楽器そのものを製作出来る方はおりませんので、そこは製作家の手腕に架かって来ます。
だってそうでしょ?ストラトと言うギターが無かったら、レスポールと言うギターが無かったら、ジャズベ、プレベと言うベースが無かったら生まれては来なかった名演奏が過去に沢山もあるでしょ。そうした定番楽器の存在があったからこそプレイヤーとして名を馳せることが出来た人々が沢山居る訳ですからね。
では過去の定番楽器達だけで現代の音楽にとって本当に充分な楽器なのか?
それをずっと考え思い続けて来ました。到底充分とは言えない、どう何度考えてもそう感じ続けて来ました。そして奏者側のプレイヤー達には別な魅力溢れる音楽性を備えた楽器を具体的に想像は出来ないものです。
稀に演奏家自体が製造に関わって誕生したプライベート的な楽器も存在しますが、それらは非常に個人的な色合いが強い楽器に成りがちなものです。だって奏者自らが満足する、しない、が判断基準で製作された物ですからね。
余程の音楽性と奏者としての力量を備えた方が本格的に数十年製作を学んでニュートラルな感性を元に製作しない限りは完成度の高い楽器製作はまず無理でしょう。ちょっと製作をかじった程度では自我の固まり的な偏った楽器になっちゃうでしょうね。
更に言えば、ギターもベースも成功したメーカーはフェンダー社以外には無いと言っていいでしょう。でもそのフェンダー社であっても5弦ベースではどうか? 評価が高く成功したと言えるか?
過去多くの場合がギターだけ、ベースだけは成功したといったケースです。言ってみれば、そのくらいギターもベースも共に高い評価を得るのは困難な事だと言えるでしょうね。
それが分かっているのでワタクシはギターだけでなく弦楽器製作全般をマスターすることを自分に課して来たと言えます。「木を見て森を観ず」ってことわざがありますが、音楽という深く広いステージで部分的な追求だけでは本当に奏者の役に立てる楽器製作家にはなれません。
自分は音楽の為に存在する製作家でありたい、そう今も思っています。軽々しく自然の産物を浪費するのは絶対に嫌ですしね。
たぶんそうした製作者の姿勢は作った楽器に現れるものだと思います。それは演奏者である皆さん自身で確かめ判断して下さい。

写真は今週は晴れが続くとの予報ですので塗装工程を積極的に進める予定のカスタム製作品達。
CCR-312はギターのSさん、TELESAはNさんのオーダー分。共にバック材がライトアッシュですので目止めに時間が掛かります。生地のアッシュ材の導管が深いのでなかなか下地表面が埋まらないのです。まあ、じっくり仕上げます。
今回のこの2本のカスタムオーダー品も完全に最終的な落し所を決め込んでズバッとそこに落とし込む様に製作しておりますので日に日に楽器らしいオーラ(それをオーラと呼ぶべきものなのかは分かりませんが)が増して来ていますね。
不思議なもので、単に製品化された製造品にはこうした内側から沸き上がって来る様なオーラはまず感じられませんものね。
まあ、楽器屋さんに並んでいる楽器達はあくまで普及品として完結してますからそれでも良いのです。
真ん中のRetoro Cityは優先的に処理を進めた結果、本日で中塗りコーティングまで終了しています。このモデルも年内にtmpを訪れたプレイヤーさん達に是非とも体感して頂きたいので頑張って仕上げています。
どんなに優れたプレイヤーであっても楽器そのものを製作出来る方はおりませんので、そこは製作家の手腕に架かって来ます。
だってそうでしょ?ストラトと言うギターが無かったら、レスポールと言うギターが無かったら、ジャズベ、プレベと言うベースが無かったら生まれては来なかった名演奏が過去に沢山もあるでしょ。そうした定番楽器の存在があったからこそプレイヤーとして名を馳せることが出来た人々が沢山居る訳ですからね。
では過去の定番楽器達だけで現代の音楽にとって本当に充分な楽器なのか?
それをずっと考え思い続けて来ました。到底充分とは言えない、どう何度考えてもそう感じ続けて来ました。そして奏者側のプレイヤー達には別な魅力溢れる音楽性を備えた楽器を具体的に想像は出来ないものです。
稀に演奏家自体が製造に関わって誕生したプライベート的な楽器も存在しますが、それらは非常に個人的な色合いが強い楽器に成りがちなものです。だって奏者自らが満足する、しない、が判断基準で製作された物ですからね。
余程の音楽性と奏者としての力量を備えた方が本格的に数十年製作を学んでニュートラルな感性を元に製作しない限りは完成度の高い楽器製作はまず無理でしょう。ちょっと製作をかじった程度では自我の固まり的な偏った楽器になっちゃうでしょうね。
更に言えば、ギターもベースも成功したメーカーはフェンダー社以外には無いと言っていいでしょう。でもそのフェンダー社であっても5弦ベースではどうか? 評価が高く成功したと言えるか?
過去多くの場合がギターだけ、ベースだけは成功したといったケースです。言ってみれば、そのくらいギターもベースも共に高い評価を得るのは困難な事だと言えるでしょうね。
それが分かっているのでワタクシはギターだけでなく弦楽器製作全般をマスターすることを自分に課して来たと言えます。「木を見て森を観ず」ってことわざがありますが、音楽という深く広いステージで部分的な追求だけでは本当に奏者の役に立てる楽器製作家にはなれません。
自分は音楽の為に存在する製作家でありたい、そう今も思っています。軽々しく自然の産物を浪費するのは絶対に嫌ですしね。
たぶんそうした製作者の姿勢は作った楽器に現れるものだと思います。それは演奏者である皆さん自身で確かめ判断して下さい。
