2月ラスト
2/28 2月も終わりですね。ヨコハマは冷たい雨が降っています。
写真はイタヤカエデの板材を裁断し、サイズダンウさせながら安定させ、そこからまた挽き割ってスロープヘッド化作業の接ぎ材としているところです。
今回は5弦ベースのスロープヘッド化の為に厚めの接ぎ材を準備しています。設計上は接ぎ厚も計算で出ていますが実際にフラットヘッドを作り替えて具体化してから設定出しして行きます。
たぶん、写真だけ見て「なんだ板っぺらの写真かいな」と思われる方も多いんでしょうね。(^ ^)
ミュージシャン含めそこらへんの反応はそれぞれのように感じますけどね。
完成品の写真じゃないと何の興味も示さない方や、それだけじゃない部分にも興味深いと感じる方と。
総じて、音楽や楽器のこと以外にはあまり興味を示さない方も多いように感じますね。
木材だったら木目がみごとなトラ木とか玉目うじゃうじゃ出てると「お~っ!」と言う反応を示すけど
本当に良い素材であっても見た目が地味だと無反応だったりね。本当にいいものを見分けられる方は昔から業者にすら少ないです。
傾向として、見た目が命の人って日本人に本当に多い様にも感じ残念に思ったりもします。
実際に長年こんな仕事していると分かるんですが、味わい深いプレイ、魅力的な演奏をする方は音楽以外、多方面にも興味を抱いておられる方が多い様に感じます。反対に音楽であっても自分の好み以外の音楽に殆ど興味を示さない方だって結構多いですからね。
やはりそこは音楽ですから、その人の人間性が大きく影響しているからでしょうね。
そうした奏者の場合、なんだか奥行きの無い薄っぺらなものを感じてしまうと言うのも事実ですね。
出来れば、懐の深い演奏家が日本から沢山出て来て欲しいな、と言うのが製作家としてはいつも願うところです。それは取りも直さず、その人の人生の厚みから生まれ出るものに感動したいと言う事ですから。
こんな板っぺらの写真ですが、時に遥か遠くの国から海を渡り、年月を経てシーズニングされ手間暇掛け加工された上で今こうして存在する(実際にこの板材も元は80キロもある板材でした)と感じられれば、単に板っぺら、としての存在とは別の意味を感じ取れるはずです。
現に、ワタクシには単なる板っぺらとは思えないですもん。ひとつの結晶みたいに感じています。
たぶん、そうした様々な想いが最後にひとつに重なって音となって現れて来ると思っています。
そうした思いが愛情であり、技術はそれを具体化させる手段に過ぎません。
写真はイタヤカエデの板材を裁断し、サイズダンウさせながら安定させ、そこからまた挽き割ってスロープヘッド化作業の接ぎ材としているところです。
今回は5弦ベースのスロープヘッド化の為に厚めの接ぎ材を準備しています。設計上は接ぎ厚も計算で出ていますが実際にフラットヘッドを作り替えて具体化してから設定出しして行きます。
たぶん、写真だけ見て「なんだ板っぺらの写真かいな」と思われる方も多いんでしょうね。(^ ^)
ミュージシャン含めそこらへんの反応はそれぞれのように感じますけどね。
完成品の写真じゃないと何の興味も示さない方や、それだけじゃない部分にも興味深いと感じる方と。
総じて、音楽や楽器のこと以外にはあまり興味を示さない方も多いように感じますね。
木材だったら木目がみごとなトラ木とか玉目うじゃうじゃ出てると「お~っ!」と言う反応を示すけど
本当に良い素材であっても見た目が地味だと無反応だったりね。本当にいいものを見分けられる方は昔から業者にすら少ないです。
傾向として、見た目が命の人って日本人に本当に多い様にも感じ残念に思ったりもします。
実際に長年こんな仕事していると分かるんですが、味わい深いプレイ、魅力的な演奏をする方は音楽以外、多方面にも興味を抱いておられる方が多い様に感じます。反対に音楽であっても自分の好み以外の音楽に殆ど興味を示さない方だって結構多いですからね。
やはりそこは音楽ですから、その人の人間性が大きく影響しているからでしょうね。
そうした奏者の場合、なんだか奥行きの無い薄っぺらなものを感じてしまうと言うのも事実ですね。
出来れば、懐の深い演奏家が日本から沢山出て来て欲しいな、と言うのが製作家としてはいつも願うところです。それは取りも直さず、その人の人生の厚みから生まれ出るものに感動したいと言う事ですから。
こんな板っぺらの写真ですが、時に遥か遠くの国から海を渡り、年月を経てシーズニングされ手間暇掛け加工された上で今こうして存在する(実際にこの板材も元は80キロもある板材でした)と感じられれば、単に板っぺら、としての存在とは別の意味を感じ取れるはずです。
現に、ワタクシには単なる板っぺらとは思えないですもん。ひとつの結晶みたいに感じています。
たぶん、そうした様々な想いが最後にひとつに重なって音となって現れて来ると思っています。
そうした思いが愛情であり、技術はそれを具体化させる手段に過ぎません。