この1年間コーチングを習っていて、昨日がその最終クラスだった。
クラスの前。昨日の朝は久しぶりに猫と裏山に散歩に行き、お気に入りの木に寄りかかって深呼吸した。鳥の鳴き声と一緒にハミングしたら気持ちが良かった。出勤の車の中でも即興で声の赴くままに熱唱していたら、お天気雨の道中で2回虹をくぐった。これは祝福に違いない。
私がコーチングを始めたのは、今の仕事を辞めたかったから。なんか資格取っとくといい気がして。
だけどコーチングの学びが進むにつれ、そして素敵なインナーワークに出会って天地がひっくり返るような気付きがあったこともあって、仕事を辞める必要がなくなった。疲弊していたのも、居心地が悪かったのも、全部私の設定だった。勝手にそこに入り込んでいたと分かった。
男性社会で自分を見失いながらも自分の居場所を探し求めてた私がいて
その一方で、ヨガや、自然の中で歌ったり踊ったり、田舎暮らしのスローライフが大好きな私がいて
たくさん傷付いて、たくさん癒されて
塩っぱい世界と甘い世界の両方の美味しさを絶妙にブレンドしたところに居たいのだと分かった。
私は無二のおはぎを作りたいのだ。
それなのに私は、あんこやきなこ、お米なんかを「あなた必要なの?じゃあ私持ってるからあげるよ」と差し出し、せっかく準備した材料を誰かに分け与えておはぎを作るに至らず、いつも気付くと不足感やら虚しさやらを感じていたのだ。
なんで材料を分け与えちゃってたかって?
生きてることが申し訳なくて、私が持ってる資源はすべて還元しなければいけないような罪悪感があったから。
この感覚は不思議だけど、真実味をもって私の中にある声だ。
誰かの役に立たなければ生きていてはいけないという信念が、焦りと一緒に私をけしかけてきていた。
だけど、今回気がついた。
私はおはぎが作りたい。
だからおはぎができるまで待ってほしい。
誰に待ってほしいのか分からないけど
私の大切なおはぎを作るための材料は分け与えてはいけないのだってことにはっきり気がついた。