この週末は完全にパーフェクトにダメ人間を満喫しました。

ベッドから出たくなくて、ずっと何かを食べていたくて、netflixに加入してひたすら朝までドラマシリーズを見続けました。

 

食べ物に関しては、とりあえずベジ生活・グルテン&アルコール抜きは原則続けていますが、ジャンキーな気分だったのでベジショップに行ってコロッケみたいなベジタリアン向けジャンクフードを用意し、鍋いっぱいに作ったお味噌汁、玄米ご飯とキムチの海苔巻き、フルーツ等まあよく食べました。胃が重たくて、決して幸せな感じはしてない。

 

そもそもこのような為体の始まりは、やはり2日連続のフォーマルディナーでしょう。

2日目はベジタリアンメニューをお願いしてあったけど普通食が出てきて、まあいいかとその日限りで満喫しました。めっちゃ美味しかったし、お酒も飲んじゃった。

が、結構疲れた。知らない人達の社交の場で、慣れないピンヒールでたくさん歩いたし、自転車ですっ転んだし(笑)、ちょうど締切りが重なっていたので提出後の気の緩みでインパクトが増長された感があります。

 

一進一退の日々ですなぁ。

やはりお酒とお肉をやめるのは、私の体は嬉しいんだと思います。

とはいえ、せっかくのフォーマルディナーだったから満喫したかった。そこで疲れた分この週末で回復するっていうのが身体の要求だったんだと思う。だからある意味ダメ人間モードはそれとして歓迎しても良いのかもしれない。

 

とはいえ、もっと幸せな感じでいたいのですよ。

胃が重たいのは不快だし

本当はネットもソコソコにしてほしいと思ってる気がします。

facebookとか観ても全然楽しくないのに、なんで見ちゃうんだろ笑。

 

こうやって書いてみて思うのは、空間ができないように埋めてるんですねきっと。

空間というのは、自分と向き合う時間で、自分とつながる時間という意味で

それがほしいんだけど、それを与えないように自分でじゃましてる。

自分の要求にもっと耳を澄ましていたら、したいことは何か、何を食べたいのか、どうやったら休養できるのか、そういうことが聞こえてくるはずなんですよね。

 

なんで疲れると自分の声を聞かなくなっちゃうんだろう?

自分と向き合おうとすると、一人ぼっちでさみしい気分になるから?

 

ソウルは大丈夫だよって言ってるのに、マインドが「全然大丈夫じゃないよー。もうだめ、無理。動きたくないし動かない。放っておいて。ちょっと黙ってて。」と言っている(!)。ソウルは、労りたいし慰めようとしてるんだけど、DV夫に尽くす嫁のように、マインドがさらに怒らないように、恐る恐る様子を見守ってる。

そして、マインドの方は、なんでも分かったような顔して見下してるの?とか、どうせ私なんか、って思ってる自分でもある。

暴飲暴食してる時とか、ソウルはいいよ別に大丈夫と言い続けているのに、マインドは「止めた方がいいって思ってるんでしょ?太るって言いたいの?うるさいなー。食べたいんだから仕方ないじゃん!後でダイエットすればいいんでしょ?放っといて。」という一人芝居を繰り広げ、結果、ソウルとマインドの乖離が進み、さらに不機嫌になっていく。

まるで思春期の子供が、自分が作り上げた親のイメージに反抗してるみたい。

寂しがってるのは、たぶんマインドもソウルも両方。両方とも自信がなくて、自分は信頼されてないと感じてる。

 

多分だけど、マインドが「え?好きなだけ食べていいの?ネットも?本当?まじで?ありがとう!」って心から思えるようになったら、適当なところで切り上げて、嫌になるまで続けたりしないような気がします。それは「頑張ってるんだから、これぐらいのダメ人間いいでしょ?!」と言う正当化ではなくて、それ自体楽しんで感謝できるといいな。

 

私はまだ自分の道を覚悟して歩くことができてないと感じてます。大丈夫だって思えないし、本当の自分を知られるのが怖いけど、本当は知ってほしい。

それは、他の誰かにじゃなくて、自分に知られるのが怖いし、自分に知ってほしいのかも。これが向き合うのが怖いって気持ちの正体なのかもしれません。

 

こうやってずっと迷ってるんだなぁ私。

今のままの自分でいいって思えなくて悶々としている。

 

とはいえそうじゃない時もいっぱいある。

原稿に夢中な時とか

スッキリ目覚めた朝とか

美しいものを見たときとか

今この場所に存在できてる時は大丈夫。

 

いい時ばかりじゃないけど

そうじゃない時も拗ねないで自分に優しくいたいです。

 

良い感じでチューニングを整えて、私が心地いい音色の日々にしたいなと思います。