本当は必要なものは全部すでに持ってるんだってこととか

なんだって全部大丈夫だってこととか

宇宙のルールみたいなものがあるってこととか

 

たくさん本を読んで、そういうの信じてるつもりだけど、

新鮮さがなくなって麻痺してきて

魔法の賞味期限が切れちゃったと感じてました。

 

私は変われる、私は変わったと思ってたのに

今はぜんぜん幸せだって感じてない。多分わりとラッキーな方だと思うけど

今現在幸せだと感じてないんです。

 

それで、本当は自分が幸せだってことを疑ってるのに、疑っちゃいけないと思ってた。私は人に大切にされないとか

私は運が悪いとか

なんでみんなこんなにみじめなんだろうとか

どうしてみんな奪うばかりで与えてくれないんだろうとか

私はやっぱり幸せになれないとか

 

そういうのがいっぱい胸の中に溜まってるのに、

そんなネガティブな気持ちを見て見ぬフリして閉じ込めてた。

 

前より自分のネガティブな感情を抑圧しなくなったと思うけど、

抑圧しない結果として幸せになれるとは思ってない。なので、単なるヒステリーの中年女性みたいな自己認識が形成されつつある。

 

この間もね、大家さんと意見の食い違いが生じて、私はびっくりしてよく眠れなかった。

それは、

「大家さんはいい人だから、彼らの意見に反論すると私が不利になる」という不安とか

「彼らは私に不要な負担をかけようとしてる。そんなの不公平で許せない」という被害者意識とかそういう感情が混ざってた。

 

でも今日になって思い返せば、

 

どんなにいい人だったとしても異なる意見を持って大丈夫

それに反論することはぜんぜん問題じゃないし、感情的になる必要もない

ただ素直に、そして敬意を持って思っていることを言えばいいだけでした。

 

こうやって書けるから、今日はやっとちょっと余裕が戻ってきたのかなと思います。

胸に詰まってたものがちょっと取れたかな。

 

胸に詰まったものといえば、

バレーボールくらいのものが胸に詰まってたとして、そのうちピンポン球1つ分くらい外れただけで「は〜胸がスッキリした」と言ってきたような気がします。

 

そして、スッキリしたはずなのに、たいしてスッキリしてない自分を疑っていた。私は本物じゃない、何かの偽物だって。

 

自分の欲しいものもそう。

一人キネシに頼って、その結果を疑って、結局自分の気持ちと向き合ってない。

何が正解なのか、いつも疑ってるんです。

自分にとっての正解でありさえすれば何でもいいはずなのに

それを疑ってる。

 

そうだ。私は私のこと偽物だと思ってる。

 

本当の私はいつも「大丈夫だよ」って言ってるのに。