ふと思ったことですが、私はいま「執着を手放す」という宿題をもらっている気がします。

執着は煩悩の一つです。これまで特段意識していなかったのですが、最近起きている出来事を執着というキーワードで並べてみると、なんか腑に落ちる。

例えば、人間関係において。
先週末には元彼が突然現れて、一日だけ縒りが戻ったような不思議な時間でした。
その後、私が復縁したくないんだから考えても仕方ないと思いつつ、彼のことが気になっている。そして、そんな自分を観察すると、結局のところ「私のことを気になっててほしい」と思っている。
きっとこれは執着ですよね。心が柔らかじゃないです。肩凝りの肩みたいでなんかしんどい。
そして、どうやら彼に母親への思いを重ねているように感じます。

例えば、仕事において。
私は最近よく腹を立てます。周囲の人達の仕事ぶりや私への対応についてです。
愚痴らないようにしようと思っているけど、愚痴りたい心のモヤモヤはそこにあります。
私はもっと周りの人から大事にされたい、真っ当な評価をしてもらいたいと思ってる。
そして自分が能力を発揮出来ないとなんだかんだ言い訳をして、真剣勝負ができる環境を与えてほしいと感じている。

そういうの手放して、愛と感謝だけが残ったら、きっと私は今よりももっとニコニコできるんだろうな。
肩凝りが柔らかくなるみたいに、心が柔らかくなって、時々イラッとしてもそこに留まらずにまた柔らかい状態に戻れるだろうなー。


いいよいいよ。それでいいよ。そのままでいいよって、みんなにも私にも心の底から言ってあげられるといいなー。

ネットで見つけました。とても的確な表現。
http://www.hideshima.co.jp/newpage78.html
「多くの依存症の根源にあるのは、実は、自己への執着。他者や帰属する集団からの承認が得られないまま、幼少期、思春期、青年期を生きてしまった結果、自分という人間を認めてくれる対象がどこにもないため、自己という閉じた世界の中で、自分で自分に承認を与えるべく、様々な依存によって、満たされない自己を満たすための代償行為を行うようになるのだ。
 つまり、承認されない自己への不安、怯え、自信のなさが、自己という狭い世界へのこだわりを生み出し、それが依存症となって現われる。」

承認されるためにもっともっととがんばるんじゃなくて、これでいいんだって思えたら、それが理想。