一つ霧が晴れたようで、まだまだ厚い雲が覆っています。

これまでの気付きの中で、私は自分が条件付き愛情しか与えられないという思い込みをしていることに気付きました。そして、それを外すことにしました。

それでも、なんだかまだモヤモヤが残っています。
それはたぶん証明しようとしているからです。

私にはもう無条件の愛情が与えられるのだ、ということの証拠を求めて、証拠が得られなかったらどうしよう…と思っている気がします。笑えますけど本気です。


私はよく既婚者から男女の関係を求められます。
これまでもそうでしたが、今もそうです。

条件付きを外したはずなのに、私のことを全面的に受け入れるつもりなどない人がまだ寄ってきます。そして、私を守りたいとか癒したいとか言います。

この調子だと無条件の人が出てくる気配がないけど、なんでだろう?何を感じたらいいんだろう?と考えてみました。


一つ気付いたことは、「無条件の愛」について私はもらうことばかり考えていて、与えるという視点がなかった。

私は私とすべての人を無条件に愛することが必要なのだ。

ここで問題発生です。
無条件の愛と売春との違いが私の中で曖昧なのです。

私は、自分で言うのも変ですが、とても人に優しいです。人を傷つけることは可能な限りしません。むしろ自分を消耗して人の望むことをしようとします。私はこれを売春婦体質と呼んでいます。

自分の利益を顧みず、人の望むとおりに自分を差し出して、疲れ果てること。これは精神的売春です。

じゃあ無条件の愛は?

売春と愛それぞれの特徴をリストアップしてみました。

売春は、自分との分離、虚しさ、利用、正当化、手段、消耗、諦め、偽善、慈善、慰め、偽物、孤独

愛は、自分との統合、他者との調和、喜び、目的、価値、尊敬、尊重、存在そのもの、学び、献身、本物、赦し、輝くもの、幸福感、充足感、不可欠なもの

こういうイメージです。
私としては、分離と統合、諦めと赦しとのコントラストが気になりました。

今日はひとまずここまで。

さしあたり、無条件の愛について最初に着手すべきプロジェクトは、自分を無条件に愛するということのような気がします。

自分を無条件に愛するって、どういうことでしょう?