今日は最後のお芝居のお稽古でした。
その気づきの記録です。
今回は人物像に違うものを混ぜていく練習をしました。私は保険金詐欺殺人の犯人にしました。夫殺しです。保険金詐欺をする女性の気持ちを想像します。
その気づきの記録です。
今回は人物像に違うものを混ぜていく練習をしました。私は保険金詐欺殺人の犯人にしました。夫殺しです。保険金詐欺をする女性の気持ちを想像します。
①まず作ったのは「私は悪くない」という殺人を正当化するイメージです。
「あんな冴えない男放っておけば孤独死してたはずでしょ?私が優しくしてやっただけでも感謝してほしいわ」
「お金もなしで私があんな男に優しくするはずないでしょ?冗談じゃない。私を誰だと思ってるの?」
「私の人生これまで最悪だった。私を利用して蔑んで傷つける人ばかりだった。これまで私が受けてきた酷い扱いと私がした殺人を比較したら、プラスマイナスゼロでしょ。」
「お金が好きよ。それのどこが悪いのよ。他に何もないんだからお金くらいいいでしょ?」
こういうセリフをギャーギャーと喚きながら言い続けます。そうすると、意外にもなんかちょっと気持ちいい。気持ちいいのでどんどんノリノリになりました。
②これに「実は一般的な報道で言われてるのとは全然違う人らしいよ。」という要素を足していきます。私は、違う要素として「この殺人犯が実は殺した相手の男性をとても愛してた」ということにしました。
そうしたら、あら不思議。
大泣きです。もう、彼が死んじゃったことが悲しくて悲しくて、涙が止まりません。
ここでは、上記のようにいろんなセリフが浮かんでくることはなくて、純粋に「彼が死んだことが悲しい」のみ、それ以外には何も出てきませんでした。きっとさっきまでノリノリだった分ギャップが大きくて大泣きになったんだと思います。
③次のステップ。
一つ目の要素と二つ目の要素を混ぜます。
そうすると、これまた不思議。
また大泣きです。が、さっきまでの二番目とは違っていて、もう彼は関係ない。それよりも、
「なんで私こんなことになっちゃったんだろう…?」
「どうして何をやってもダメなんだろう?」
「私はどうやっても幸せになんてなれない。どうして私はこんなに不幸なの?」
「どうしてフツーの人のフツーの幸せが私には難しいんだろう?」
こういう自己憐憫の悲しさです。
話はここから延長して、さらに発展します(全部私の妄想ですけど)。
「私はだめな人間。不要な人間。だから早く生まれ変わりたい。人生をリセットしたい。だから早く死刑にしてほしい。」
こんなふうにして、自分が殺人犯であることを受け入れ、死刑を甘んじて受けようという気になりました。むしろ、死刑は殺人犯である私にとっても必要なことであるという感じ。
そうしつつ、もし生まれ変わったらどんな人生を送りたいか?と想像しました。そうしたら、
「両親から愛される、望まれた子供として生まれて、たくさんの愛情を感じたい」という気持ち。
そこでハッと驚きが生じました。思い出せば、私のことを愛してくる人も親切にしてくれる人も本当はいたと気付きます。そこで「ごめんなさい」という愛してくれた人たちに対する懺悔の気持ちでいっぱいになります。
気持ちの化学反応って本当に面白いです。
私自身のリアルライフでも、こういう化学反応がいつも起きてるなと思います。
今回はかなり分かりやすく化学反応が起きましたが、それは確実に私が自分自身を投影していたからだと思います。
私は、今も彼氏との関係の事をごちゃごちゃ考えていて、その正体は何なんだろう?と思っています。
自分を正当化したい私は、彼と私はそもそも生きる世界が違ってたんだと思ってみたり、かつて友人が言ってた彼に対する批判・低評価の言葉を持ち出してきて、私達は吊り合ってなかったと考えてみたりしています。だからこそ正当化がノリノリでできたと思う。
次に、違う要素として入れた「彼を愛していた」というのが大号泣だったのは、やはり私が彼を好きだったからだと思います。まだ好きなのかもしれません。だから、別れたことが本当はとても寂しいし悲しいです。
そして、最後の③混ぜるでも、自己投影が発揮されています。①私は私を大好き、②私は彼を大好きを混ぜたら、それはもうおのずと③二人の関係が上手くいかなかったことへの嘆きにつながるわけです。
どうして私はいつも恋人といい関係を続けられないんだろう?
私は私で頑張ったと思うのに…
どうしてみんなみたいに結婚して子供を産むことが私にはこんなにも難しいんだろう…
私が殺人犯と違うのは、私が死刑にならない点ですが、最後の懺悔の気持ちは私自身のものでした。
私は今文句を言いながら、両親と距離を取ろうとしています。
彼らが私に与えた影響のうち、ネガティブな側面に注目しています。
だけど、彼らはポジティブな影響も、愛情も、それはたくさん与えてくれています。
そのことにハッと気づかされたのでした。
結論を書き忘れそうでしたが、結局のところ、人の心はかようにも複雑なんだと知りました。いろんな気持ちがありますが、つまりはこれらすべてが本当の気持ちなんだと思います。
私が彼のことを時々思い出す理由は、これら全部が関係している。
だからなかなか忘れられないわけですね。
そうは言いつつも、いや待て、と第3の私もおります。
これって、つまりは古い思考パターンが戻ってきてるだけなんじゃないか?
せっかく気付いたなら、埋没を回避できるんじゃないか?
…どうだろう。
「あんな冴えない男放っておけば孤独死してたはずでしょ?私が優しくしてやっただけでも感謝してほしいわ」
「お金もなしで私があんな男に優しくするはずないでしょ?冗談じゃない。私を誰だと思ってるの?」
「私の人生これまで最悪だった。私を利用して蔑んで傷つける人ばかりだった。これまで私が受けてきた酷い扱いと私がした殺人を比較したら、プラスマイナスゼロでしょ。」
「お金が好きよ。それのどこが悪いのよ。他に何もないんだからお金くらいいいでしょ?」
こういうセリフをギャーギャーと喚きながら言い続けます。そうすると、意外にもなんかちょっと気持ちいい。気持ちいいのでどんどんノリノリになりました。
②これに「実は一般的な報道で言われてるのとは全然違う人らしいよ。」という要素を足していきます。私は、違う要素として「この殺人犯が実は殺した相手の男性をとても愛してた」ということにしました。
そうしたら、あら不思議。
大泣きです。もう、彼が死んじゃったことが悲しくて悲しくて、涙が止まりません。
ここでは、上記のようにいろんなセリフが浮かんでくることはなくて、純粋に「彼が死んだことが悲しい」のみ、それ以外には何も出てきませんでした。きっとさっきまでノリノリだった分ギャップが大きくて大泣きになったんだと思います。
③次のステップ。
一つ目の要素と二つ目の要素を混ぜます。
そうすると、これまた不思議。
また大泣きです。が、さっきまでの二番目とは違っていて、もう彼は関係ない。それよりも、
「なんで私こんなことになっちゃったんだろう…?」
「どうして何をやってもダメなんだろう?」
「私はどうやっても幸せになんてなれない。どうして私はこんなに不幸なの?」
「どうしてフツーの人のフツーの幸せが私には難しいんだろう?」
こういう自己憐憫の悲しさです。
話はここから延長して、さらに発展します(全部私の妄想ですけど)。
「私はだめな人間。不要な人間。だから早く生まれ変わりたい。人生をリセットしたい。だから早く死刑にしてほしい。」
こんなふうにして、自分が殺人犯であることを受け入れ、死刑を甘んじて受けようという気になりました。むしろ、死刑は殺人犯である私にとっても必要なことであるという感じ。
そうしつつ、もし生まれ変わったらどんな人生を送りたいか?と想像しました。そうしたら、
「両親から愛される、望まれた子供として生まれて、たくさんの愛情を感じたい」という気持ち。
そこでハッと驚きが生じました。思い出せば、私のことを愛してくる人も親切にしてくれる人も本当はいたと気付きます。そこで「ごめんなさい」という愛してくれた人たちに対する懺悔の気持ちでいっぱいになります。
気持ちの化学反応って本当に面白いです。
私自身のリアルライフでも、こういう化学反応がいつも起きてるなと思います。
今回はかなり分かりやすく化学反応が起きましたが、それは確実に私が自分自身を投影していたからだと思います。
私は、今も彼氏との関係の事をごちゃごちゃ考えていて、その正体は何なんだろう?と思っています。
自分を正当化したい私は、彼と私はそもそも生きる世界が違ってたんだと思ってみたり、かつて友人が言ってた彼に対する批判・低評価の言葉を持ち出してきて、私達は吊り合ってなかったと考えてみたりしています。だからこそ正当化がノリノリでできたと思う。
次に、違う要素として入れた「彼を愛していた」というのが大号泣だったのは、やはり私が彼を好きだったからだと思います。まだ好きなのかもしれません。だから、別れたことが本当はとても寂しいし悲しいです。
そして、最後の③混ぜるでも、自己投影が発揮されています。①私は私を大好き、②私は彼を大好きを混ぜたら、それはもうおのずと③二人の関係が上手くいかなかったことへの嘆きにつながるわけです。
どうして私はいつも恋人といい関係を続けられないんだろう?
私は私で頑張ったと思うのに…
どうしてみんなみたいに結婚して子供を産むことが私にはこんなにも難しいんだろう…
私が殺人犯と違うのは、私が死刑にならない点ですが、最後の懺悔の気持ちは私自身のものでした。
私は今文句を言いながら、両親と距離を取ろうとしています。
彼らが私に与えた影響のうち、ネガティブな側面に注目しています。
だけど、彼らはポジティブな影響も、愛情も、それはたくさん与えてくれています。
そのことにハッと気づかされたのでした。
結論を書き忘れそうでしたが、結局のところ、人の心はかようにも複雑なんだと知りました。いろんな気持ちがありますが、つまりはこれらすべてが本当の気持ちなんだと思います。
私が彼のことを時々思い出す理由は、これら全部が関係している。
だからなかなか忘れられないわけですね。
そうは言いつつも、いや待て、と第3の私もおります。
これって、つまりは古い思考パターンが戻ってきてるだけなんじゃないか?
せっかく気付いたなら、埋没を回避できるんじゃないか?
…どうだろう。