昨日の記事を書いた後、いくつかのブログを拝見して心に残った言葉がありました。

曰く、他人は自分の鏡だから、自分が自分を愛さなければ人に愛されることはない。

確かに。

そしてself-acceptanceという言葉も不思議と目に留まります。

自己受容。“ありのままの~♪”です。

ありのままって、暴飲暴食したい自分を「あ~暴飲暴食したいんだなぁ」と眺め、暴飲暴食するってことで、差し当たりいいんでしょうか?

なんかそれでいい気がしてきました。

①ストレス源に接触→ ②影響を受ける→ ③心がカサカサ→ ④暴飲暴食→ ⑤醜い自分→ ⑥自己価値否定という一連の流れがあるとして、なるべく川上でストップしたいわけですが、どの段階まで進もうと結局⑥に至らないということが重要なんだと思います。

仮に③心がカサカサまで来てしまって、④暴飲暴食以外の選択肢が思い浮かばない場合でも、「美味しい~☆幸せ~!最高♡」と思いながら食べれば、⑤に進まなくて済むんじゃないか。

こう考えると、それぞれの段階でいろんな選択肢がありえますね。①から②に進まない方法、②から③に進まない方法。なるほど。

私は、私が届きたい高みに行くまでにいくつもステップがあるということを知らない気がします。
今は、暴飲暴食の衝動を抑えるのはとても出来そうもないけど、それは、①から③までの段階で無防備過ぎだからかもしれません。

「はいっ今から少女時代!」と言っても、少女時代のような美しい脚としなやかな股関節がいきなり得られるわけではありません。同じように、自分と仲良くするというのも、そんなに簡単じゃない気がします。

いきなり完璧には出来ないのだから、せめてダメだししてひどく自分を責めるのは止めたほうがいいのだろうと思います。

まずは自分の声をちゃんと聴くこと。

ここから始めたいと思います。そうすることによって、私は私を苛めなくなるんじゃないかと思うから。



さて、昨夜の宴会について。

祝賀会でした。旅立つ人達をお祝いできたこと、そして、結果が出せず涙を流した人達を励ましながらみんなで泣いて笑ってとても有意義な夜でした。

そして、懸念のキーパーソンからは、宴会終了後に二人で飲もうと誘われました。仲間としての和解の申し出なのか、それとも性的対象として誘われているのかを見極めようとしたところ、完全に後者だったので、放置して帰りました。

だけどなんかすっきりしなくて、夜中に辛ラーメンたっぷりキムチ入りを作って美味しく頂きました。

さしあたりこれでよかった気がする。