今日は完全に休息し、だいぶ復活しました。
昨夜ゆっくり過ごし、今朝は彼に朝ご飯(ほぼ昼ご飯?)を作りましたよ。ゆっくりできる日の料理は本当に楽しいです。
お味噌汁とポテトサラダと大根の浅漬けと焼き鮭。彼が喜んでくれてよかったです。
そして彼と、先日の錯乱事件について話しました。
結果、朝ご飯は無理な時にはもう作らないことにしました。
それから話すうちに分かったことは、この度のこの錯乱事件の背景には、「ジェンダー差別への憎しみ」みたいなものが私の中に存在していて、疲れている時にはそれが物事の解釈にはっきり現れるということです。
私達は日々起きる様々な出来事に対し、自分の人生の一幕として何らかの意味付けをしていますが、どう意味付けをするかは、これまでの人生経験とかパターンとか、常識とかのいろいろな文脈に左右されます。そういう色眼鏡で事実の解釈を行なうわけです。これは多かれ少なかれ「思い込み」です。
彼がこう言った、ああ言った、こう言わなかった、というところに意味をつけて怒る。
今の彼と私が付き合っている意味の一つって、こういう発見にあるんじゃないかという気がします。人生は修行ですね。
昨夜ゆっくり過ごし、今朝は彼に朝ご飯(ほぼ昼ご飯?)を作りましたよ。ゆっくりできる日の料理は本当に楽しいです。
お味噌汁とポテトサラダと大根の浅漬けと焼き鮭。彼が喜んでくれてよかったです。
そして彼と、先日の錯乱事件について話しました。
結果、朝ご飯は無理な時にはもう作らないことにしました。
それから話すうちに分かったことは、この度のこの錯乱事件の背景には、「ジェンダー差別への憎しみ」みたいなものが私の中に存在していて、疲れている時にはそれが物事の解釈にはっきり現れるということです。
私達は日々起きる様々な出来事に対し、自分の人生の一幕として何らかの意味付けをしていますが、どう意味付けをするかは、これまでの人生経験とかパターンとか、常識とかのいろいろな文脈に左右されます。そういう色眼鏡で事実の解釈を行なうわけです。これは多かれ少なかれ「思い込み」です。
彼がこう言った、ああ言った、こう言わなかった、というところに意味をつけて怒る。
今の彼と私が付き合っている意味の一つって、こういう発見にあるんじゃないかという気がします。人生は修行ですね。