今日の私は久しぶりの自己肯定感にニコッというか二マッとしています。
この連休に新しい自分に会えた感じがしています。
その前に。ここ数週間続いたモヤモヤ感が背景にあります。
というのも最近女友達って何だ?と思うことが幾度かありました。
悩みを告白される時に「他に話せる人がいない。」とか、「誰かに聞いてもらいたいと思った時に最初に(私が)思い浮かんだ」とか言われるんですけど、全然嬉しくないんです。なぜなら、彼女達は自分の気持ちを否定しないでただ聞いてくれる人が欲しいだけなんだって感じちゃったから。
私が嬉しいのは、心配したり彼女(ら)の幸せを願っているという私の気持ちを大事にしてくれる人。そういうのが友情だと思うんです。でも、最近の女子は忙しいし、とにかくどうにかしなきゃっていう事態を解決することで手一杯なのかもしれません。
いずれにしても、彼女らに対する私の愛情は冷めてしまいました。一時的なのかこの先ずっとなのかよく分からないけど。
で、今週末の話ですが、まず、趣味で続けている演劇のワークショップでの出来事。
「いい人を演じよう」というお題をもらいました。この「いい人」というのが上記のモヤモヤ感とリンクして、なんて言うか、自分と同じすぎてうまく演じられないのです。「いい人」って、利用されているような、何かを奪われるような感じがして、「そうなんだーすごいねーいいねー」とニコニコ顔で言ってみてもなんか自分を嘲り笑っているような、えらい疲れるし楽しくない。そのとき先生に「なにが邪魔してるのか考えてみよう」と言われ、ちょっと考えました。そして、私にとっての「いい人」は客観的なイメージじゃなくて、自分の中で「あーまたいい人のふりしちゃった…」という悲しくて虚しい感じそのものだと気付きました。つまり役者として「いい人を演じる」ということは、いい人が内面で抱える心のヒリヒリやモヤモヤを表現する事だったんですねー。なので、叫び喚き怒ってみると、なんと、すごくしっくり♡気付いたら大声で泣いてました。そしてスッキリ浄化されたような気持ちです。
「いい人な私」=「泣きわめく私」というイメージの気付きは生活に生かせそうな気がします。日常で「いい人」を演じる事は自分を大事にしてないことだと分かりました。だからきっと、やっちゃいけない事なんです。私がなりたいのは「いい人」じゃなくて「誰かを愛情いっぱいで包み込む人」とか「日々の小さな事に感謝する人」とか「相手を傷つけずに自分の選択、主張をできる人」とかそういうのだと思います。
そしてね。関係ないのですが、今日は、仕事のノルマをこなしたし、通勤路で自然を愛でることができたし、これまで出来なかったヨガのポーズが初めてちゃんと出来ちゃいました。なんか、とても良い感じなんです。シャバーサナしたとき、どうにもこうにも笑顔が止まりませんでした。私、方向性間違ってないかも。ヨガも演劇も今の仕事も、全部ものすごく大正解なものを選んでいるかも。私はちゃんと自分に必要なものを知っているではないか。大丈夫だ私。そんな気持ちです。
どうせまた紆余曲折するわけですが、今日の私のこのにっこりを将来の私に伝えたいと思います。私には私の幸せが待っておるから、あまり心配せずに心に正直に精進しなさいね、私。
この連休に新しい自分に会えた感じがしています。
その前に。ここ数週間続いたモヤモヤ感が背景にあります。
というのも最近女友達って何だ?と思うことが幾度かありました。
悩みを告白される時に「他に話せる人がいない。」とか、「誰かに聞いてもらいたいと思った時に最初に(私が)思い浮かんだ」とか言われるんですけど、全然嬉しくないんです。なぜなら、彼女達は自分の気持ちを否定しないでただ聞いてくれる人が欲しいだけなんだって感じちゃったから。
私が嬉しいのは、心配したり彼女(ら)の幸せを願っているという私の気持ちを大事にしてくれる人。そういうのが友情だと思うんです。でも、最近の女子は忙しいし、とにかくどうにかしなきゃっていう事態を解決することで手一杯なのかもしれません。
いずれにしても、彼女らに対する私の愛情は冷めてしまいました。一時的なのかこの先ずっとなのかよく分からないけど。
で、今週末の話ですが、まず、趣味で続けている演劇のワークショップでの出来事。
「いい人を演じよう」というお題をもらいました。この「いい人」というのが上記のモヤモヤ感とリンクして、なんて言うか、自分と同じすぎてうまく演じられないのです。「いい人」って、利用されているような、何かを奪われるような感じがして、「そうなんだーすごいねーいいねー」とニコニコ顔で言ってみてもなんか自分を嘲り笑っているような、えらい疲れるし楽しくない。そのとき先生に「なにが邪魔してるのか考えてみよう」と言われ、ちょっと考えました。そして、私にとっての「いい人」は客観的なイメージじゃなくて、自分の中で「あーまたいい人のふりしちゃった…」という悲しくて虚しい感じそのものだと気付きました。つまり役者として「いい人を演じる」ということは、いい人が内面で抱える心のヒリヒリやモヤモヤを表現する事だったんですねー。なので、叫び喚き怒ってみると、なんと、すごくしっくり♡気付いたら大声で泣いてました。そしてスッキリ浄化されたような気持ちです。
「いい人な私」=「泣きわめく私」というイメージの気付きは生活に生かせそうな気がします。日常で「いい人」を演じる事は自分を大事にしてないことだと分かりました。だからきっと、やっちゃいけない事なんです。私がなりたいのは「いい人」じゃなくて「誰かを愛情いっぱいで包み込む人」とか「日々の小さな事に感謝する人」とか「相手を傷つけずに自分の選択、主張をできる人」とかそういうのだと思います。
そしてね。関係ないのですが、今日は、仕事のノルマをこなしたし、通勤路で自然を愛でることができたし、これまで出来なかったヨガのポーズが初めてちゃんと出来ちゃいました。なんか、とても良い感じなんです。シャバーサナしたとき、どうにもこうにも笑顔が止まりませんでした。私、方向性間違ってないかも。ヨガも演劇も今の仕事も、全部ものすごく大正解なものを選んでいるかも。私はちゃんと自分に必要なものを知っているではないか。大丈夫だ私。そんな気持ちです。
どうせまた紆余曲折するわけですが、今日の私のこのにっこりを将来の私に伝えたいと思います。私には私の幸せが待っておるから、あまり心配せずに心に正直に精進しなさいね、私。
